「旧態依然の官僚制度、なぜなくならないの?」 経営学者の回答は
官僚制は合理的なものだ、と聞くと驚くかもしれない。「タテのつながりを重視」「規則に従う」「文書を残しておく」――いかにも現代にそぐわない原則だが、なぜ社会に定着し続けているのだろうか。官僚制の正当性について、他の組織形態と比較するなどの手法で分析を試みた『経営学の技法 ふだん使いの三つの思考』(舟津昌平著)から抜粋・再構成してお届けする。連載第3回。 ●官僚制の合理性はどこにあるか 官僚制概念を提唱したウェーバーは、官僚制の合理性を次のように説いている。組織が構成員を管理することを「支配」と呼ぶならば、世には「伝統的支配」「カリスマ的支配」「合法的支配」がある。伝統的支配では、古来の先例や習慣が重視され、権威化された長老がリーダーになる。カリスマ的支配では、カリスマ的なリーダーが采配をふるう。 しかしこうした支配体制は、きわめて「人格」に左右されやすい。伝統的支配は旧弊を脱しづらく、かつその旧弊は恣意的で根拠に欠けうる。カリスマ的支配は、カリスマの人格に依存していて、部下からすれば次の言動が読みづらい。つまりこれらの支配体制は、属人的で、ゆえに恣意的なため、かえって予測しづらいのだ。 そこで官僚制は、次のようにそれらの問題を克服する。まず、規則に従うことで、感情に左右されない意思決定が可能になる。その意味で官僚制は非人格的である。さらに規則によって一元化されており、その規則も理性的に管理されている。そして構成員は規則に従うことで未来の予測を立てやすくなる。このように「非人格性」「標準化」「予測可能性」が揃(そろ)っているがゆえに、官僚制は合理的なのである。 ピンとこない方のために具体例も述べておこう。会社で、上司の気分で決定がコロコロ変わるとか、身分や出自で職位が決まっているとか、ルールがどこにも書いてないとか、そういうことが起きたら困るだろう。なお、そんなことがしょっちゅう起きている組織は現代でも少なくないはずなのだが…。そういう組織では、「人格に依存している」がゆえに、「ばらつきがあって」「予測しづらい」ということが起きてしまう。 だから官僚制は必要だし、たとえば上場企業のような「ちゃんとした会社」ならば、官僚制に則(のっと)っていないなど考えられない。官僚制が世に浸透しきっているのは、そういう理由によるものなのだ。こういうメリットを無視して官僚制はダメだの言っていても仕方ないというか、官僚制が世に受容されてきた理由については知っておくべきだろう。 余談だが、官僚制は実はトップマネジメントら経営者による権力の濫用(らんよう)を防ぎうる、ということにも触れておこう。「規則でがんじがらめ」というイメージのある官僚制は、組織の規則によって個人を拘束する。このとき拘束される個人は、経営者ら、権力をもつ側も当然含まれる。 権力者が公私混同して組織をほしいままにする、というのは最悪の組織像の一つといえようが、官僚制は規則を絶対視するがゆえに、官僚制が機能する限りはそれを抑制できるのである。ちなみにドラッカーも、類似の指摘をしている。