「刺繍で刺繍を超える」 世界のファッションブランドを支える美希刺繍工芸の独自技術
七面鳥の羽をそのまま布地に刺繍したこともありました。軽く、天然の羽毛を使うことでとても品がある。一見するとファーのようなゴージャスな質感です。日本国内では鳥の羽を染めることが禁止されているため、中国の鳥の羽を専門に販売している企業から羽を購入しました。
ほかにも、通常は廃棄されてしまう「捨て耳」(ウールの端材)から新たな生地を作ったり。見方をちょっと変えることで、面白い発想は次から次に出てくるものです。 そもそも刺繍の材料は「布」でなくてはならないのでしょうか。当社では「木材に刺繍を施す」特許技術を持っています。当社のほど近くに「府中家具」という有名な家具の産地があります。ここが日本でもっとも高級な箪笥を作っている土地で、その箪笥のために開発しました。かつては婚礼用などの箪笥を広島から名古屋や東京へ運んでいたんです。 ー驚くべき技術です。どのようにして木材への刺繍が可能に? 箪笥の分厚い板には針が通らないため、刺繍は施せません。そこで薄さ3ミリの板を用意し、特殊設備で刺繍を施して箪笥の本体に圧着するのです。板を貼る前に表面を凹凸処理して、熱を加えてプレスすると剥がれることがない、という仕組みです。
1万円の中古ミシンから始まったイノベーション
ー苗代会長は、なぜ刺繍の世界に入ったのですか。 私が刺繍の世界に入ったのは高校卒業のとき。家業が八百屋で、継ぐつもりでした。ところが卒業の半年ほど前に、立ち退き命令があって八百屋を続けることができなくなってしまったんです。そこで、高校卒業後に地元の広島にある作業服メーカーの社員寮に住み込んで働きはじめました。1960年代のことです。 ー最初から刺繍を目指したわけではなかったと。 そうです。広島には作業服メーカーが集まっていましたから。入社すぐはアイロン掛けや特殊ミシン等を扱う仕事でしたが、ある日当時の社長から「今日からミシンの修理をするように」 と言われたんです。けれどミシンの直し方など全くわからないので、独学でミシンの構造から勉強することになりました。説明書を見ながら、壊れたミシンを分解してね。1年間ほどで大体の故障は修理できるようになりました。 ーそこではじめてミシンの仕組みに触れたということですね。 本格的に「刺繍」が仕事になるのは、私が独立したときです。 当時、私は広島でなく東京にいました。1963年に会社の東京支社に転勤し、翌年に東京オリンピック後に不況が訪れて東京支社が閉鎖。東京で転職しましたが仕事中に事故に遭い入院した時に、見舞いに来たある人から作業服の名札(ネーム)の刺繍の代金が値上がりしていると聞きました。 そこで「刺繍屋になろう」と考えた。 ー「ネーム刺繍」とはどのような仕事なのでしょうか。 作業着にひとつひとつ名前を刺繍して納める工賃仕事です。一人前になるには3年から5年はかかると言われていた難しい作業ですが、現金決済ですぐにキャッシュが入る。懇意にしていた社長さんに刺繍屋さんを紹介していただき、中古のミシンを1万円で買ってスタートしました。