「刺繍で刺繍を超える」 世界のファッションブランドを支える美希刺繍工芸の独自技術
常に新しい「工芸」を
ー相当な逆境です。 経験も実力もありませんでしたが、とにかくがむしゃらに勉強しました。習字を習っていたおかげで、ネームに関しては、1年経ったころにはどこの業者さんと比べても自分のほうがうまいと思えました。 ただし、壁がありました。いくら腕には自信があっても私にはミシン一台しかありませんから、大口の仕事はもらえない。本当はブランドの服のワンポイントの刺繍を手掛けたかったのですが、生産力が足りないため発注されないわけです。 ーひとりの職人としてのビジネス的な限界があったと。 そのころ、父親の体調が悪くなり、地元に戻りました。その1ヶ月後には亡くなってしまった。そこで東京とはまったく違うさまざまな工芸の「産地」としての広島を見ました。ものづくりをするなら、帰ってきたほうが絶対いいと直感したのです。 友人の家の倉庫を借りて、福山で仕事を始めました。8年ほど経ったころ、貯金と借金で40坪ほどの工場を建てました。当時、専用の刺繍ミシンは1,200万円。購入できたのはたった1台、残りはリースで、働きながら刺繍の研究です。ミシン製造企業の担当者さんと泊まり込みで使い方を勉強したことを覚えています。 徐々に売り上げが増え、従業員とミシンで工場の中が満杯になったのが起業5年目のころ。工場を新築したらバブルが弾けて数千万円の借金が残りました。その後、なんとか乗り切っていまがあります。 ーその過程で独自の技術を開発されたのですね。 そうです。企業として生き残るためには新しいことを次から次へと考え、世に出していかなければそっぽを向かれてしまう。研究を続け、技術の差をつけること。「美希刺繍工芸に行けば、何か新しいものがあるぞ」という存在でなくては、と常に新しい工芸の形を考えています。 最初に買った中古のミシンは、いまもオフィスに置いてあります。まだ現役で動きますよ。 ■取材協力 株式会社美希刺繍工芸 日本ジャガード刺繍工業組合 1964年に設立された全国的な刺繍業界の工業組合。刺繍に関する高度な専門技術・理論を保有する企業を認定する「刺繍マイスター」制度、刺繍専門情報誌「絵糸(えいと)」発行のほか、各種の刺繍クリエイション支援を行う。毎年11月4日を「いい刺しゅうの日」として登録。美希刺繍工芸・苗代会長は理事長、副理事長等を歴任している。