東日本大震災を機に表現を模索し続けたアーティスト鴻池朋子、能登半島地震で変化したこととは?
青森県立美術館の「鴻池朋子展 メディシン・インフラ」を7月13日(土)に控える鴻池朋子。東日本大震災を機に自身の作家活動を見直し模索しつづけた彼女の“生き延びるためのアート”はさまざまな人や出来事を巻き込んでどこまでも進んでいく 【写真】鴻池朋子のアートの制作現場
最近、青森の展覧会に向けて「苦手」だという自身の活動の振り返りをしている。その中で、「自分でも何だかよくわからないけれど、むちゃくちゃにやっていた」と話すこの震災後の活動が、今につながる大事な過程だったと感じるようになった。 「この時期には、東北で多くの方たちとも出会いました。今回、作品を預けるのもそうした人たちです。みなさん震災後の私の活動について、『よくわからなかったけれど、この人は何かをやろうとしているんだと思ってつき合っていた』と話してくれます。私は巡る季節の自然の中でそうして出会った人たちに助けてもらいながら、いろんなことにぶつかりつつも、そのエネルギーを仕事に変えていったんだと思います」 アーティストとしての危機の時期に、手を差し伸べてくれた人間や、動植物を含む厳しい自然からもらった生きるための力。それを、東北の地を巡りながらあらためて考え、手探りするための道筋─。「メディシン・インフラ」、鴻池の表現する「薬の道」には、そんなイメージも重ねられている。 【写真】制作中の鴻池。青森の展覧会では、通常は会場構成のために作られる精巧な模型をあえて用意しないなど、新しい展覧会の作り方にも挑んでいるという
「生産性には直結しないかもしれないけれど、手で何かを求めて遊べるということは、人間が生きること、『アート』とすごく近いのではと思う」
ずっと感じている空腹感。暗中模索の時代は、つい近年まで続いていたという。しかし近頃、「変化が見えてきた」。きっかけは、今年の元日に発生した能登半島地震に端を発するいくつかの出来事だった。 鴻池は昨年、ある建築家の展覧会でウクライナやバルカン半島の古い戦争の詩を目にし、そこから「詩」を言葉ではなく手触りあるものにしたいと駆られて、ベッドカバーとして制作していた。そんな折、能登半島地震が発生。建築家と相談し、急遽そのベッドカバーの案を仮設住宅のカーテンに転用して90世帯分を制作することを引き受けた。「遠くで生きる人」を思って制作した布がたどったこの道筋は、鴻池に「作品」が生活の中で広がり揉まれていくような感覚を与えた。 【写真】能登半島地震の仮設住宅のためのカーテン。参加者が縫った布の上に、鴻池によるウクライナ難民の下絵が置かれている。材料費がなく、スポンサーをつける提案もあったが、鴻池は周囲から集めた布で作ることを選択した。作業の中では、布という素材自体がもつ、人が気軽に持ち寄ったり作業に参加できたりする力や、どんな絵も受け入れてくれる寛容さを感じるという