「犬のようにしつけなければ駄犬になる」作家・吉村昭の衝撃の子育て論!
数々の名作を世に送り出した作家夫婦の吉村昭と津村節子。吉村は、自身が父親から厳しいしつけを受けたように、息子と娘に対して過激な体罰も辞さなかった。そのように厳格でありながら、子煩悩な一面も持っていた彼の心の葛藤を探る。※本稿は、谷口桂子『吉村昭と津村節子 波瀾万丈おしどり夫婦』(新潮社)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● 小説以外は雑事だった吉村昭の 子育ては妻任せだったのか? 吉村昭と津村節子は、結婚2年後の1955年(昭和30年)に長男の司、その5年後に長女の千夏を授かった。 子育てについて、吉村は次のように書いている。 〈子供がうまく育つかどうかは母親次第、というのが私の持論である。幼児の折から母親がしつければ、立派な人間として成人する。〉(『わたしの流儀』新潮文庫) 子育てに父親は必要ではないとも受け取れる。そう述べる吉村のことを、 〈仕事以外は念頭にない男〉(『風花の街から』毎日新聞社) と津村は言い、吉村自身も、 〈時間のすべてを小説執筆のために費やしたい私は……〉(『縁起のいい客』文春文庫) と記している。ゴルフなどの運動はもちろん、講演も雑事とみなし、義理がある場合を除いて引き受けることはなかった。観劇の招待券が送られてきても興味を示さず、年を経てからは冠婚葬祭もなるべく辞退するようになった。 その持論や流儀から、子供のことは妻任せだったのではないかという印象がある。小説の執筆を最優先する吉村にとって、子供にかかわることも雑事だったのではないか。 実は、そうではなかった。
吉村昭の魅力の1つは意外性にあると思うのだが、たとえば『戦艦武蔵』などの記録文学の大作を書く一方で、食と酒について滋味深い随筆を手がける。感情を押し殺した小説の文章に対して、随筆では「人情」という言葉をしばしば使っている。 ● 新宿のいきつけのバーで 息子を見せびらかした吉村昭 私生活でも、印象を裏切るような意外な一面を次々と見せてくれる。 第一に、吉村は実に子煩悩な父親だった。 吉村が行きつけだった吉祥寺の「みんみん」で、名物の餃子を口にしながら司が回想する。 「小学校にあがる前の幼稚園の頃から、新宿のバーによく連れて行かれました。母が編んだ毛糸のベレー帽をかぶって。かわいい、かわいいって、店の女性にめちゃくちゃもてました。大人になってから父と行った回数より、子供の頃に連れて行かれたほうが多いと思います。子供を人に見せるのが好きだったのか、自慢したかったのか……」