「犬のようにしつけなければ駄犬になる」作家・吉村昭の衝撃の子育て論!
〈少くとも10歳までは、子供は、犬を調教するように時にははたき、人間としてのしつけを身につけさせなければならない。中学校から高等学校へ行くようになって非行化しても、それを改めさせることは容易ではない。幼犬の頃からしつけなければ良い成犬にならぬように、子供も幼い時からしつけなければ、一人前の大人にはならない。その時期をのがしてしまえば、犬は駄犬になり、子供も手に負えぬ人間となる。〉(『私の引出し』文藝春秋) 吉村にとって、子供のしつけは犬と同列なのだ。 〈しつけをしないと、どんなにいい血でも駄犬になっちゃいます。〉(「総合教育技術」昭和47年9月号) とまで述べている。幼い司にはわからなかったかもしれないが、吉村が怒る理由はあった。 〈……夫は、嘘を言ったとき、約束を破ったとき、卑怯なことをしたときにはきつく叱る。特に男の子には厳しく、風呂場へ連れて行って頭から水をかけたこともあった。〉(「婦人公論」昭和46年5月号) 吉村もそのことに触れている。 〈宿題をしなかった小学校3年生の息子に、私は、衣服を脱げと命じて頭から水をぶっかけた。社会のきびしい風波に堪えられる人間にしてやりたいからだ。〉(「週刊朝日」昭和43年8月9日号)
● 自分が厳しくしつけられたように 息子に接することに葛藤した吉村 厳しいしつけというのは夫婦で共通していたようで、 〈子供は厳しくしつけなければならぬものだということでは、妻と私の考え方は一致している。〉(『月夜の記憶』講談社文庫) 子供を叱ることに関して、吉村にはトラウマがあった。紡績と製綿会社を経営していた吉村の父親は厳しい人だった。 〈そういう父親で、何かあるとどなるわけですよ。それで立ち上がるとぶんなぐられるだろうと思って、庭からはだしで飛び出していったり何かするんです。(略) そういう恐怖感があるものですから、男の子は父親のことを常に憎悪しているんじゃないかみたいな考え方があって、ひっぱたいたあとはやっぱりちょっと気になりましたね、(笑)〉(「総合教育技術」昭和47年9月号) 父親に対する印象は年齢と共に変わっていき、晩年には、 〈生きる道は異なっていても、真摯に一筋の道を生きた商人の父の仕方は、私の道にも通じている。商いに徹していた父が、私の師表とするものに思えてもいる。〉(『わたしの普段着』新潮文庫) と書いている。それでもトラウマは根強くあったようで、津村によれば、風呂場で頭から水をかけたときは、これで子供には憎まれるだろうと哀れなほどしょげていたらしい。
谷口桂子