「犬のようにしつけなければ駄犬になる」作家・吉村昭の衝撃の子育て論!
若い頃、新宿に勤め先があった吉村は、〈その界隈で100近くの飲み屋を知っていた。〉(『味を追う旅』河出文庫)が、そのうちの10軒に司は連れて行かれた。BAR RIDOという店の名前を覚えている。かわいい!と言われながら、司はカクテルグラスに盛られたサクランボのシロップ漬けを食べていた。吉村が店でお金を払わないのを、子供心に不思議に思った。その頃の支払いはツケで、「この間の分、まだ残ってますから」と店の人に言われたりしていた。 「私は覚えていないんですが、小学校に入った頃に、父に会社に行ってほしいとさかんに言っていたようです。友達の父親は朝、背広を着て会社に行くのに、うちの父親はずっと家にいる。大丈夫なのだろうかと、子供心に不安を感じていました」 ● 説明なしにいきなり怒り出す 吉村昭の心を息子が読み解く 吉村は子供のしつけにも熱心だった。怒るときは厳しく怒った。 「体罰はありましたよ。おふくろと同じで、殴られて気絶したこともありました。茶碗などを投げられて、それをよけたら部屋のガラスに当たって割れたり、障子の桟が壊れたことも」 怒られた理由は何だったのか。
「それがわかんないんですよ。いきなり怒り出すんです。だから怒られたという記憶しかない。なぜ怒っているのか、という説明があまりなかった。というより、ほとんどなかった。そもそも普段から、突然、アレ、どうなった?とか言うんです。言われたほうは、なんのこと?となる。父の話には主語や目的語がないんです」 なぜという説明がないのは、津村の回想と同じだ。今思うと……と、司は思案するようにつけ加えた。 「死に物狂いで小説を書いていましたからね。根を詰めている状態というのは、何を考えているのか、思考の過程は常人にはわからない。父にしてみれば、数時間前からずっと考えていたことで、我慢に我慢を重ねて、最後の最後に爆発しかないと怒ったのかも。前段階がわかれば、それは当然怒るよねということになったのかもしれません。それがいきなり怒るから気難しいということになってしまって、本当はシンプルな人だったのかもしれません」 吉村の影響なのか、そういうところが自分にもあると司は言う。 ● 子供を犬と同列にしつけた 吉村昭流の子育て術 子供のしつけについては、吉村に明確な持論があった。