なぜいまだに三浦春馬さんなのですか? 空羽ファティマ
ナイトダイバーに秘めた想い
だが、私は彼が最後の最後に遺した歌であり、死後にみんなが聴くことを知って旅立った歌「ナイトダイバー」こそが彼の秘めたる本心であり、遺書だった気が実はしている。 寒そうな雨の中で祈祷を捧げるように一心不乱に踊るダンス。肌に張り付く濡れた白いシャツ。けちらす水たまり。シャーマニズムを感じる静けさの中の冷たさと熱さ。あれはまさに彼の心そのものだった気がする。王子様的な三日月の目で笑うハルマ君ではない、秘めた情熱と叫びと怒りが、その歌詞と画面一杯にほとばしる。痛々しいのに神々しい。その頬を伝うのは雨か涙か? 【この胸に突き刺さる棘の痛みを笑顔の下に隠して、知らんふりして見ないようにしてたら、もう戻れなくなって毎晩同じこと考えて一人眠れぬ夜を過ごした。 誰も知らないこの想いは渦を巻いてLoop Loopして声にして吐き出そうしたけど、どうしてもできなかったんだ。 あの頃に戻れても、多分何も変わらなくてきっと今の僕には変えられないことだったんだ。 ずっとこのままでよいわけなんてあるはずもないと、思いつつ弱音吐いた長い夜。 こんな情けない僕だけど、どうか誰か生きる理由を教えてほしいよ。 このままの君で、生きてていいよと肩を抱いてほしいよ。 記憶の中の若かった僕はくだらないプライド掲げて、知ったふりして適当に過ごしたことに、自分で呆れてしまう。 そんな自分が情けなくて、それを隠すためについ嘘をつき、数え切れないほどの言い訳を積み重ね、本当に大事なものを失ってしまったんだね。 流れた涙とともに(命は)夜の底に音もなく堕ちていった。】 ……これを読んで辛くなってしまうかもだけど、あえて書いたのは、あの日の絶望から、私たちは目を背けてはいけないしそこから何を学びどう、進んでいくかなのだから。
何をやってもうまくいかない人におすすめのドラマ
チャンヒの話をもう少ししよう。間違って入った講座は「葬礼指導士」の講習会。講師は言う。「人は自分の誕生日は知っているが命日は知らない。本人も遺族も準備ができてなくて途方に暮れる。その時に故人が安らかに美しく逝け、遺族がしっかりと見送れるようにともにいてあげる人が、この仕事。結婚式が新たな門出を祝うイベントのように、葬儀はその人生の終止符を打つためのイベントだ」と聞きこの仕事こそ、まさに自分の使命だと気づく。 ……人生はほとんどが、予定通りにはすすまない。よかれと思って動いたことが壁にぶち当たったり頭を抱えることの方が多い。 それでも。腐らず“世間の”真実ではなく“自分”の真実を胸に歩いて行くしかない。そうやっていくうちに、想像以上の光の中に導かれることもある。 チャンヒの姉の話も味がある。難しい関係だが優しい恋人が彼女の好物の卵パンの袋に花のついてない枝だけを入れて夜、届けにきた。「これはなんですか?」と尋ねると「僕の気持ちです!」と言われ?と思っていると足元に、赤い薔薇の花首を発見し、枝にはこの花がついていたと知る。 「悩みつつもなんとか彼を受け止めようとしてる私が、首の折れた薔薇を拾い、水を入れた醤油皿に寝かせました。花瓶に美しく挿されたバラではなく、醤油皿に置かれた花はあなたと私のようで、ちゃんと見守ってないとすぐ枯れそうで目が離せません」 スムーズにいかない恋愛関係を“醤油皿に横たわる花首”に、象徴する流石の演出。こういう発想って日本のドラマにはないのでは? このドラマは、「人生にとことん疲れた人。人間不信になってる人。なにをやってもうまく行かず実らない人。自分はなんでこんなにダメな人間なんだろうと落ち込んでる人」のためのものだ。 私は一回目に視聴したときは、いいドラマとは思ったが、今回ほど深くは、響かなかった。でも今、壁にぶつかってる私が観ると「こんなに深いところに沁みる言葉たちが溢れている、優しさに満ちた話だったのか」と驚く。「全てのことには時がある」と高校時代、キリスト教系の学校の礼拝の時にウトウトしながら聞いた聖句が頭の中に蘇る。本当にそうだった。そして天は一番必要な時に必要な助けをくださるのだと信じてもいいと思えた。