三浦春馬さんの最初で最後のSOS 空羽ファティマ
2024年元日から東日本大震災を思い起こさせる大地震と津波が能登に起き、翌日には飛行機事故で、「明けましておめでとう」を言えない年明け。 元日という日本人にとって一番特別な日に里帰りで帰っていた子どもさん、お孫さんとの新年会の準備を整えて、さあこれからの時に大地震が起きてしまった。自然現象はどうにもできないがせめて元日は避け、家が壊れる前に家族で最後の新年会を過ごさせてほしかった。 マスクで顔半分の付き合いしかできないコロナがようやく落ち着いてきた新しい年の始まりに、被害にあわれた方には心からお見舞い申し上げます。
気づかなかったわけではなく気づかないふりをしていただけ
「もう後の祭りだけど」とある春馬ファンは語り出した。「彼が休養を発表したら古参ファンは受け入れた。彼の心の問題を以前から心配していたから、むしろ安心したと思う。亡くなった時、“いつかいなくなるのではと心配していた…”」 と言っていた。 彼自身、病を自覚していただろうが、精神の不安定さや弱さ、と捉えたかったのかもしれない。どうにもならぬ状況が度々あったはずなのに自身を鼓舞し、現実を見ないように蓋(ふた)をし、やり過ごしていたのでしょう。 躁うつは、やる気満々の時期もあるから“僕はまだ行ける! 大丈夫だ!”の繰り返しだったのでは。でもこの本『ふれる』では心の問題も表面化している。本の編集には事務所ももちろん関わっていただろうから、フォローがなかったのが無念すぎる。イメージを守るため病院に行きたくないと彼が言っても、ここまで酷(ひど)いなら周りが引きずってでも治療に行くべきだった。失踪したのも、この写真集の作成前でしょ!? なら、なおさら。 『ふれる』は2015年3月に第一刷しか発行されず売れなかったから、そーゆー数字面でも自分の位置が見えちゃって焦り悩んだろうし。 古参ファンが“病み本”と呼んでましたが、確かに病みSOSが出ている。それから「2020年7月18日までの7年間の長い間、一人でどうしようもない辛さを抱えて、本当によく頑張ったよ、春馬くん!」と言っていましたが、同じ想いの方がいることでしょう。 そして「お母さんが病院に連れていけばよかったのに」という声もあるので、それについて少しだけ書きます。お母さんは、心を病んでしまっている“春ちゃん”を知ってたけど、拒否されてて何もできない自分に後悔や悔しさ、悲しさ、やりきれなさを常に持って生活して、そばで見ている人も辛かったそうです。この本は当時も今も読んでないです。 春馬さんと親しい人も「『ふれる』は、パンドラの箱を開けるようで、心が苦しくなり読んでない」と言ってます。 以下『ふれる』より。 《演技以外の場で思いを伝えることの大切さも感じるようになりました。演技が全てなのだから、作品について自分の口であれこれ語る必要はないという意見もわかる。だけど僕は作品に対する思いを自分の言葉で伝えることも役者の大切な仕事の1つだと思っています。 例えば「永遠(えいえん)の0(ゼロ)」という映画を僕はより多くの人に見てもらいたかったし、作品を通して伝えたい思いも明確にあったから、ハードなプロモーション活動も苦にならなかった。肉体的には当然疲れるけど、精神的には平気というかもっと伝えたい思いでいっぱいだったんです。自分の気持ちが強すぎて言いたいことをうまく伝えられないと悔しいし、反対にこちらの熱意が伝わった時は本当に嬉しい。しかも勝手なことにそういう時に言われる「かっこいいね」という言葉は素直に受け止められるんです。 言葉って相手がどう思って発しているのかということより、自分の心の持ち方で響き方が変わってくるものなんですね。自分に満足できていない時ほど歪(ゆが)んだ見方をしてしまうし、反対にあれこれ考える。余裕もないくらい本気でぶつかっている時は、どんな言葉もプラスに受け止められるのかもしれない。 人に何かを伝えるのは本当に難しいですよね。(略)僕は演技を通して人に何を伝えることができるのか。そもそも僕は本当に演技ができているのだろうか…。子どもの頃からこの世界で生きてきましたが、最近そんなことよく考えます。》 また、瑞峯院(ずいほういん)の前田昌道住職から茶道の精神を聞いて、こう言っている。「深く刺さったのは“求めるところは自分の心にしかない”という言葉。(略)達磨大師のように何度倒されても起き上がってひとつの場所に向かっていけばいい、しかもその頂上は自分の心にあるのだと聞き、目から鱗(うろこ)が落ちました。僕らみたいな仕事はどうしても周りの目を気にしてしまうし色んな意見に左右されてしまいがちじゃないですか。そういう意見に耳を傾け過ぎると時々やっぱり疲れてしまう」 「人の意見を取り入れることは、大切だけれども本当になりたい姿はやっぱり自分の心に聞くしかない」