なぜいまだに三浦春馬さんなのですか? 空羽ファティマ
自分っていいな、と思えることが生きる力になる
何度も言いたいイチオシドラマ『マイ・ディア・ミスター』の脚本家パク・ヘヨンさんは“普通の人々”の心情を描くが『私の解放日誌』では「不幸が一つもなくても幸せだと感じられない理由」を深掘りし、「宝くじや出世で登場人物がパワーを得るのは嘘くさくて面白くない。人が本当に活力を得るのは自分の根源でそれを持ち続けることが力になる」と語る。そのドラマの中でお金に苦労してきた弟のチャンヒが『リターン・トゥ・パラダイス』という映画を友人に語るシーン。 「旅で出会った男3人が数日後に別れ1人は現地に残ったが数年後に2人を訪ねてきた弁護士。かつて3人で吸った大麻罪で残った1人が死刑になろうとしてるが、もし2人も吸ったと証言すれば量刑が3等分され死刑は免れるが、皆3年間服役になるという。 『死なせるわけにいかない』と現地に戻った男は、刑務所の劣悪な環境を見て逃げ出したが、もう1人は葛藤後、自首し服役。が不条理にも死刑が執行される日がきてしまう。刑務所広場の絞首台で震えている男に、檻の中の小さな窓から外に向かい『俺はここにいるぞ! お前とともにいる!』と叫んだんだ。きっと俺も。その死刑までの5分のために刑務所に入るだろう。たとえ、そいつが友だちでなくても」 その後、チャンヒは人生がかかった大事な商談に向かう途中に、なぜか思い立ち立ち寄った病院で、元カノの彼というたいして縁もない人が危篤になったことを知る。身内に誰にも連絡つかない。迷った末にチャンヒはまさに映画の男のように言った。 「俺といよう。君が逝くまで俺がそばにいるよ。きっと、これは、俺の運命なんだ。祖父に祖母に母……俺1人で看取ってきた。なぜそこに居合わせるか不思議だけど、寂しく1人で逝かせずによかったと思った。 そして、なぜか今日も病院に足が向いた。3人看取ったからわかるが、逝く時はすごく楽になるよ。みんなそういう顔してた。だから、怖がらずに安らかに逝って。(手を握る)そばにいるから」 儲け話を台なしにした理由は誰にも打ち明けず、「俺の貧乏人生がやっと今、報われるのかと思ったが、それを手放した俺は……本当に……カッコいい」と呟く。 「今まではなんでも口に出してきたが、これは言いたくない。人としての重みと俺だけが知る俺の価値。口にすればその代わり重みを失う気がするんだ。永遠に俺だけの秘密だ。言葉をグッと押し込んだ瞬間、人は大人になるんだ。 それができた俺は、やっと自分に惚れることができた」 「こいつぅ。うっとうしいオトコになったな」。茶化す友人たち。 雪が舞ってくる。白い満月の中を雪が静かに舞う。 「最高だ」。呟くチャンヒ。 世の中の成功と呼ばれるものを得ても、人は幸せになれるわけではない。誰かにほめられたからではなく、自分で自分を「いいなコイツ」と思えた時、人は輝く。 春馬さんも、まさに自分を必要以上に大きく見せない人だった。最後まで遺書も残さずまさに飛ぶ鳥跡を濁さず、は彼の優しさでありその美学を通した。