増える群発地震&子どもの自殺――正論を超えて観るべきこと 空羽ファティマ
彼の闇を観ていた人
一瞬で、日本全国を深く哀しい黒い渦に飲み込んだ2011年の東日本大震災から13年が経った。あの日の学びのバトンをしっかりと受け取ることは残された私たちの使命であり、望んではなかったであろうが結果的に多くの犠牲の上に大いなる教訓を与えてくれたことに対しての敬意と追悼でもある。そして「この大変な時代を生き抜く私たちの生きる力」にもなると信じる。 もちろん他の災害も大変な傷だろうが、1000年に1度という大地震と黒い悪魔が一瞬で街を飲み呑んだ大津波。そして群馬県で暮らしていた私も子どもを放射能から守るため引っ越しを真剣に考えざるえなかった恐ろしい原発事故まで加わり、私にとって、あの災害はそれまで生きてきた全ての人生観を根こそぎ変える大転機になり、今も震える忘れられぬ日だった。 ボランティアで宮城県の気仙沼に行った春馬さんについて、馬場国昭さん(75)が「謙虚な好青年。当時21歳と思えないくらい大人びていた。いろんな経験をしてきたんだと思う」と語った三陸新報社の記事を読み、大石茜記者と、馬場さんのお2人と直接やりとりした私は、もう少し突っ込んだことを聞かせて頂き『創』2022年5月号に書いた。それを13年経った3/11の今日、加筆修正しました。 大石記者と私のやりとり。以下全て本人の了解を得ています。 「馬場さんは7/18の彼の死について、三浦さんの大人びていた性格から腑に落ちた様子。当時三浦さんは20歳ほどだったにも関わらず、同年代に比べ全てを俯瞰(ふかん)しているような落ち着いた優しいお人柄だったようで“20年ほどの人生でつらいことや悲しいことを人一倍経験して周りの変化に気付きやすい人だった”から自死に至ったのも理解できると言ってました。また『死を選択した彼は強い』とも話していた気がします。その心中はわかりませんが……」 Coo 「死を選択した彼は強い」とは、いろいろ考えられる深い言葉ですね。 大石さん その言葉がとても心に残っています。 Coo 75歳の“あれだけ大きな震災を体験した方の言葉”ということが重く響き、これを記事に書くリスクもあると感じつつ、お2人にご迷惑かからない形で私なりに表現させて頂きたいです。 そして私は馬場さんに「その意味をもし可能ならばご自身のお言葉で聞かせて頂けますか?」と尋ねると、 「私も現世の辛苦から何度逃れようと苦悶(くもん)したか。されど人間の欲がまさって思い停まったか、人は生きて悟りを開けないとか、生きて修業の道程とそれを達観して初めて仏への道へと彼は生きて悟りを開かれて、自ら泉下に旅発つ勇気を持ったことは彼の天命であり、讃辞の心を持って彼の冥福をと…」 と、お返事を頂いた。 私も以前ものすごく辛かった時期に“生きたい”“死ぬのは怖い”と実感するために、死ぬつもりはないけど、手首にカミソリを当てたことがある。刃を押し付けるだけで怖くてそれを引くことはできなくて、恐怖に爪が青くなったことを思い出し、一線を越えるのはこんなに怖いものだと思い知った。 “三浦さんに関する情報を知りたい”と会ったこともない私に言われたら、警戒するのは当然なのに、心を込めてお願いし何回かやりとりすると信頼してくださり、心の奥を語り「貴女様の感性のままに記述して構いません」と任せて頂けて本当に感謝。 正直、ご遺族という立場の方や、命のギリギリを見てきた人たちとのやりとりは緊張するし、リスクもあるけど本気で向かい合いその方の想いをこうして届けることが私にできることだと信じている。 いろんな考えの人がいるから記事を書くのはいつも怖いし、まして協力してくださった方にご迷惑がかかるのは避けたかったのでお名前は伏せて書いたら、大石さんから「馬場さんは強い信念をお持ちなのでお名前を載せても大丈夫だと思います」とお聞きし、そういう誇りある方ならば、かえってお名前を隠すのは失礼かと思い、了解を取って載せた。 今まで世には出ていなかったこの馬場さんの言葉は、人によっては目を背(そ)けたい鋭利な刃物かもしれない。だがそれを拒絶すると“三浦さんの情報をもっと知っている人”がもしいても、表に出しづらくなり、彼の生きた証しや足跡が闇に葬られていくのではないだろうか? “私たちの知らない彼”を少しでも知りたくて調べていたら、今まで表にでていなかった言葉をこうして聞くことができたので〈誠意を持って三浦さんと接した方が感じたこと〉ならばそれを伝えるべきだと思った。 馬場さんが「震災で生きたくても生きられない人がいたのだから、自ら死に逃げてはいけない」という正論を言わなかったのは、馬場さんが〈死にたかったのに死ねない経験〉をして“その線を越えるほどのよほどの重荷”をその時の彼に見て、闇を持つ者同士がわかりあえたのかもしれない。 天と地が切り裂かれるような災害の渦中にいた馬場さんだから見えた1人の若者が隠し持っていた深い闇。その闇は7/18、彼を覆い連れ去っていった。まるで津波のように。 地震、津波、台風などの災害や温暖化、戦争。世界中のどこもが被災地になりうる、出口のないトンネルのような今の時代に私たちはやっと生かされている。その世の憂いをひとごとではないのだと感じ始めた時、三浦さんが望んだ平和な世の中が始まる気がする。 春馬さんは震災支援に対しても繊細な感性で「“いいこと”って言っちゃうと、なんだか違う気がするんですよね。みなさんが本来持っているやさしさを生かせる場ができるというだけのことですから」と言っていたという。“自らの正しさ”を押し付けて誹謗(ひぼう)中傷で人を傷つけるSNSが普及する時代に、その違いをわかる人はどれだけいるのだろうか。