涙ぐむ男性も...フェミニズムの象徴になった“テニス史に残る男女対抗試合”
テニス界の偉人ビリー・ジーン・キングは、テニスを通して女性の自由のために闘いつづけました。エマ・ストーン主演で映画化もされたテニス界初の男女対決『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』。ただの試合ではない、女性の未来が懸かった世紀の対決の裏側が、本人の言葉で初めて語られます。 ※本稿は、ビリー・ジーン・キング著、池田真紀子訳『ビリー・ジーン・キング自伝』(&books/辰巳出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
ボビー・リッグズからの挑戦状
初めてボビー・リッグズと会ったのは71年だった。私が全米オープンの会場であるフォレストヒルズのクラブのコートで練習していると、ボビーが低いフェンスを跳び越えて現れた。 その何週間も前から、私との対戦を申しこもうと何度も電話をかけてきていたが、私は一度も電話口に出なかった。それに業を煮やして直接交渉を試みたようだ。 「なあ、いいだろう、ビリー・ジーン、対戦しようぜ」ボビーは言った。「こっちはこんな老いぼれなんだ、きみが負けるわけがない」 「興味ないから」 私は言った。私のためにも女子テニスのためにもならないとわかりきっていた。 それからも数カ月ごとにボビーは対戦を申し入れてきて、そのたびに私は断った。初めのうちは笑い話にもできたが、しだいにうっとうしくなり、2年ほどたってボビーがついにマスコミを利用して私を挑発し始めたときには怒りを感じた。 2月末、私はインディアナポリスの大会の準決勝でマーガレットを下し、そこまで12大会連続で優勝していたマーガレットの快進撃を止めた。試合後、アリーナのエレベーターに乗ると、マーガレットがいた。扉が閉まるのを待ち、マーガレットは私に笑顔を向けて言った。 「実はね、ボビー・リッグズと対戦することにしたの。賞金は1万ドル」 マーガレットがそんな話に釣られるなんて。そのほんの2日前、私はまたしてもボビーの申し出を断ったばかりだった。私はマーガレットに笑みを返し、何か励ましになることを言おうとしたが、口をついて出たのはこうだった―― 「あなたがそれでいいならかまわないけど、マーガレット。ただ、一つお願いがある。絶対に勝って。あなたもわかってるでしょ。これはテニスの勝ち負けの問題じゃない。女子テニスの未来が懸かってるの」 マーガレットは、不思議な生き物を見るような目でこちらを見た。マーガレットにしてみれば、高額の報酬がもらえるエキシビションマッチの一つにすぎないのだ。 テニスが堕落したのはお金のせいだと何年もあちこちで主張してきたくせに、当のマーガレットがお金のために女子プロツアーの権威を――そうでなくても頼りない権威を――失墜させかねない危険を背負いこもうとしている。別れ際、私はもう一度だけ念を押した。 「マーガレット、お願いだから勝ってよ」 マーガレットとボビーの"男女対抗試合"は1973年5月13日の母の日に、建設中のリゾート施設サンディエゴ・カントリー・エステーツで行われた。私は生中継を見そこねた。ちょうどその時間帯は太平洋上空3万フィートを飛行中だったからだ。 長いフライトのあいだずっと、マーガレットが勝ってボビーの口を永遠にふさいでくれていたら最高にありがたいんだけど、とみなで話していた。 中継地のホノルルで、生中継を少しでも見られるかと期待した。飛行機のドアが開くと同時に一斉に到着ロビーに走りこみ、当時の空港の椅子にかならずついていた硬貨投入式のテレビの空きを探した。 まもなくスポーツコーナーが始まり、アナウンサーが言った。 「カリフォルニアで今日の午後に行われた男女対抗試合の結果です。ボビー・リッグズが6―2、6―1でマーガレット・コートを下しました」 ストレートで負けた? みな耳を疑った。私はロージーの顔を見て言った。 「私がやるしかないみたいね」 そしてその場でラリーに電話して言った。 「試合の手配をお願い」 案の定、こちらから連絡を取る前にボビーの代理人から電話がかかってきた。1939年のウィンブルドン・チャンピオンに私が勝ったところで女子プロツアーには何の影響もないが、現役の女子プロ選手、それもおそらく女子テニス史上もっとも堂々たる体格をしたマーガレットがボビーに負けたとなると、話はまったく変わってくる。女子の実力を示さなくてはならない。 ボビーとの試合に向けた交渉が始まってから、本当に試合をすると決まったときの過熱報道や重圧を想像して何度も胃が痛くなったことは正直に打ち明けなくてはならない。 何度もこう考えた。どうしよう、私は絶対に負けられない。懸かっているのは私のプライドや評判ばかりではなかった。 女子プロツアーが消滅してしまうのでは、タイトル・ナインのスポーツへの適用に影響が及ぶのでは、私たちがそのころもまだ続けていた闘い――賞金格差の解消や公平な待遇を求める闘い――が失速してしまうのではと思うと怖かった。