涙ぐむ男性も...フェミニズムの象徴になった“テニス史に残る男女対抗試合”
女性への差別、ビリー・ジーンにかかる期待
マンハッタンのタウン・テニスクラブで記者会見が開かれ、私はボビーと並んで壇上に座った。 71年にマディソンスクウェア・ガーデンで行われたモハメド・アリ対ジョー・フレイジャーの"世紀の一戦(The Fight)"のプロモーターを務めたジェリー・ペレンチオは、"これは世紀の試合(The Match)"だと言った。そのあとボビーと私は、計量日のプロボクサー同士みたいに軽口を叩き合った。 「彼女はウーマンリブの旗を掲げて戦ってる」ボビーは言った。 「俺の旗は、年齢差に関係なく"男は至上、男は王"だよ。宮廷(コート)だろうとコートの上だろうと、たいがいのことで男は女に勝てる(ビート)......いざとなれば殴り殺せる〔beatには「殴る」のほかに「勝つ」という意味もあり、ここではその2つをかけている 〕」 「それはどうかしらね」私は言った。 「ボビーの言い分で一つ気に入らないのは、"男が至上"ってところ。第一に、男女関係なく人は人だし、どんな人にも優れたところがある。"すべてにおいて男が優れている"わけじゃない」 「俺たちと同じ賞金をよこせとか......冗談だろ」ボビーが言う。 「女がいなかったら、あなたは今回のチャンスにも恵まれていなかったはず」私は言い返した。「1939年以来、いいところなしだったでしょ」 〈男女対抗試合(バトル・オブ・ザ・セクシーズ)〉に向け、2カ月にわたる舌戦が幕を開けた。 女は家庭にいるべきだ、ハードな仕事やストレスに女は生まれつき耐えられないと主張していたのは、ボビー・リッグズ一人ではなかった。 1970年代なかばのアメリカでは、全医師に占める女性の割合はわずか9パーセントだった。長年、女子が医学部への入学を許されていなかった結果だ。また法律、政治、企業のCEO、民間機のパイロットなど他業種を見ても、女性の割合は極端に低かった。 "男性至上主義のブタ"を看板にしたボビーのスタンドプレーは、変容後の世界では男の地位もこれまでと変わるのではという不安を巧みに利用していた。ボビーの発言の大半はいまの世の中では許されないだろう。 マーガレットに代わって雪辱を果たすと決めたとき、私は、女性というだけで見下され、二級市民と卑しめられ、スポーツのみならずあらゆる分野でチャンスさえ与えられずにいる現状にうんざりした人々の期待を一身に背負うことになった。