性被害者に「ハニトラ」「断ればいいのに」の声が出て絶望…性的同意の意味
「同意」は当たり前で難しいことではない
私は「同意」を説明する際に、よく「食事」に例えてみる。 友人と二人でランチに行くとする。せっかくなら楽しみたい。そのために、みなさんは、どんなコミュニケーションをとるだろうか? まず、お互いが「一緒においしいものを食べたい!」という前提を共有していることが大切だ。この共有がなく、一方だけ楽しめればいい、となってしまうと、もう一方の人はあまりいい時間を送れない可能性がある。そのうえで具体的に食事内容を決めていく際には、まずお互いの苦手なものやアレルギーを確認したりする。そして、互いが満足できる選択肢をすり合わせていく。その際には、食べ物の好みや体調など、お互いの状況や意見を尊重することも大切だ。そんなとき、嫌がるものをあえて食べさせたり、無理やり口に食べ物を入れて咀嚼を強要はしないだろう。 よい関係を築きたいと思えば、当然、と思う人も多いかもしれない。そして、こうした同意のコミュニケーションは、人と接する限り、無意識的にでも様々な場面で自然に行われていることだと思う。性的同意も、この延長線上にあるもののひとつなのだ。 性的行為に関わる誰か一人ではなく、全員が、その行為をしたい、そして、いい時間を過ごしたいという前提を共有していることがまず大事だ。当たり前に聞こえるかもしれないが、私はこの部分が共有できていれば自然と相手も自分も尊重したコミュニケーション、そして性的同意語が成立する、と感じている。 しかし、最近のニュースやSNSを見ていると、そもそもこの部分ができておらず、相手を無視した一方的な性欲の押し付けや、ゆがんだ認知で自分勝手に解釈をしているケースがあまりに多いと思う。あえて言葉にしなければいけないこと自体が心苦しいが、セックスワーカーを含めどんな職種の方であっても、性別も年齢も関係なく、誰ひとりとして、性欲処理のための「モノ」ではない、尊厳ある人間だ。だからこそ、尊厳ある人間同士、それぞれに意思があり、それに基づく同意が重要であって、蔑ろにされていい人間なんていない。 この部分の理解と共有さえあれば、妊娠を望まないなら避妊をすること、性感染症予防のためにコンドーム着用や検査に行くこと、自分や相手の体調などに合わせて柔軟であること、相手が嫌なことはせずお互いが積極的に望む行為を選んでいくこと、力関係に差ある場合はお互いが意見を言えるように積極的に配慮すること……、こういった事柄が自然にできるはずだ。それができないのなら、人間を相手に性行為をすべきでないと私は思う。