性被害者に「ハニトラ」「断ればいいのに」の声が出て絶望…性的同意の意味
23歳で性的同意を知ったときの想い
2019年4月、私はFRaUwebで『女子大生が23年生きて来て初めて真の「性的同意」を知った瞬間』という記事を書いた。当時の記事から一部抜粋したい。 「もし嫌なら、嫌と言ってね。確かに、キミに断られるのは悲しいけれど、その気持ちをきちんと処理するのは僕の責任だから。キミには関係ないし、負の感情をぶつけることもないよ。大人だからそういった感情のマネジメントくらいはいい加減できているから。それよりも我慢や嘘を言われる方が嫌だ」 日本在住のヨーロッパ出身の男性からお誘いを受けた際、私の顔はなんとなく曇っていたのかもしれない……。返答に困る私に彼はこう言葉をかけたのだ。そのときは、気乗りせず関係を持つことはなくお断りした。でも、23年生きてきたなかで、もっとも安心して本音を伝えられた瞬間だったと私は今でも思っている。 彼の言葉には、「これぞ本物のオトナ!」と感動したし、人としての信頼は急上昇した。そんな彼とは今でも友人として交流が続いている。 私はこのとき、これが「真の同意か!」と感動したのだが、その一方で、性に限らず、自分は今までどれほど心からの同意を提示しにくい環境にいたのだろうと愕然とした。「相手に不快な思いをさせてはいけない」「人を傷つけてはいけない」「人に嫌われてはいけない」……。 その思いはいつしか「自分も傷つきたくない」という思いの遥か上をいき、更に「友達ならこうあるべき」「彼女ならこうあるべき」という相手からの無言の期待にも絡めとられていた。そして、傷つく割に、自分のYes・Noなんて、伝えるどころか、見えなく、感じられなくなっていた。というより、相手からのサジェスチョンにNoと感じることに罪悪感すら感じていた。 彼の言葉を聞いたときに、「そんなのいらなかったんだ!」と目から鱗の思いがした。無意識のうちに抑圧されていた自分のYes・Noが、息を吹き返した瞬間だったと思う。 2019年4月16日配信『女子大生が23年生きて来て初めて真の「性的同意」を知った瞬間』より この記事を書いてから約6年、社会は変化しているのだろうか? 変化するどころか、「性的同意」がゆがんだ形で取り上げられることも多い。 そもそも「性的同意」の根幹にあるのは、「同意」であって、「同意」は人と関わる限り常に存在し発生するものだ。「性的なシチュエーションでだけ突如発生する、 面倒でよくわ からないもの」では決してない。「日本は『性教育』が遅れているから、性的同意も理解されない」という声がSNSなどで散見されるが、そもそもの「同意」がわかっていれば、性的同意も当たり前にできると感じる。