「タバコの煙が充満するバス」「選手の住所が載っていた選手名鑑」…今では考えられない昭和プロ野球の“常識”
通勤電車に揺られるプロ野球選手たち
――食事面などについて、今では球団や個人に管理栄養士などがいますね。試合前などは、ビュッフェ形式で食事が用意されている様子もテレビなどで見たことがあります。 湯上谷:南海の頃は、食堂の食券をもらっていました。1試合に500円分(笑)。もちろん、それでは足りないので600~700円のメニューを頼むんですが、超えた分は給料から天引きです。せこいですよね(笑)。 ――選手専用の食堂があったんですか? 湯上谷:いえ、お客さんも入れる食堂ですよ。だから、たまにお客さんに声をかけられることもありました。 ――今では選手とファンはきっちり分けられていますね。 湯上谷:一般の方と一緒にといえば、2軍時代の移動もそうで、普通に電車移動でしたよ。2軍戦はデイゲームばかりなので、朝の通勤ラッシュの満員電車に乗ります。しかも、今のように用具車はないので、バット・グローブ・ユニフォーム・着替え・スパイクなど大荷物一式を抱えて。それで満員電車に乗ろうとすると、サラリーマンの方に本当に嫌な顔をされますからね。そうやって球場に行っていました。僕は野手なのでまだいい方で、キャッチャーは防具まであるので、もっと凄い荷物なので大変ですよね。
ベンチ裏の通路で着替えなければならず…
――球場での待遇で、今では考えられないことはありますか? 湯上谷:着替えですね。藤井寺球場や日生球場だと、着替えはベンチ裏の通路にパイプ椅子が並んでいてそこで着替えていました。隣の選手と肘もぶつかるような狭いスペースで頑張って着替えていましたね。 ――学生の部活みたいですね(笑)。 湯上谷:通路なので報道陣とか球場関係者や、裏方のバイトさんも横をウロウロするんですよ。シートノックの練習の後は汗と土で泥まみれになるので、パンツも全部着替える必要があります。でも、そんな状況だったので、大事なところを隠しながら着替えるのがみんな上手くなりました(笑)。