人気女優と結婚、伝説の組長と交流も…“昭和プロレスの語り部”マイティ井上が急逝 生前語った「国際プロは猪木の踏み台」「燃える闘魂はパクリ」の真意
国際プロレスや全日本プロレスで活躍した元プロレスラー・マイティ井上(本名・井上末雄)さんが11月27日、神戸市内の病院で死去した。75歳だった。いまでは数少なくなった昭和プロレス史を知る名レスラーが、生前語っていた古巣・国際プロレスへの愛情と、プロレス界を揺るがせた大事件の内幕とは? 《Numberwebノンフィクション全2回の1回目/つづきを読む》 【写真】「ウソだろ…110kgの巨体が上空から!」マイティ井上の代名詞で超高難度技“サマーソルト・ドロップ”はいまでもファンの語り草に…当時の貴重写真を見る(30枚超) プロレスリング・ノアのレフェリーをつとめていた時代から、幾度となく取材をさせていただいた井上さんは昭和プロレスの語り部であり、特に古巣の国際プロレスに関してはほとんどの主力選手が他界するなか、オールドファンや取材関係者には貴重な証言者として認知されていた。
伝説の組長との交流、人気女優との結婚歴も…
井上さんの人生には、プロレス界の住人だけではなく、さまざまな人間模様が入り組んでいる。あまり知られていないことだが、井上さんは「殺しの柳川」と呼ばれた伝説の組長・柳川次郎とも交流があった。それは柳川がヤクザの世界から身を引いた70年代以降のことである。 井上さんは柳川によって設立された“アジ民”こと「亜細亜民族同盟」の歴史にも精通していた。戦後の日韓裏面史を研究するジャーナリストがその情報を聞きつけ、「何とか話を聞きたい」というので取材の橋渡しをしたこともある。 女優・西尾三枝子との結婚歴もある井上さんの交友関係は幅広く、大阪弁で舌鋒鋭くズバッと物申す、その本音の語り口はいつも爽快だった。 「どうも! マイティ井上です。元気にしてますか!」 引退後は周囲との交流が途絶える不器用なプロレスラーが多いなか、定期的にかかってくる電話はいつも明るい調子だった。井上さんはノア退団後の2010年、夫人の実家がある宮崎県・都城市に移り住み、そこで10年以上暮らした。 昨年、大きな病院に通院するため実兄の住む神戸に移り住んだときにも「こちらに来るときは教えてくださいよ」と丁寧な連絡をいただいたが、神戸と聞いていつでもお会いできると思っていたところ、突然の訃報であった。昭和のマット界を彩った名レスラーのご冥福を、改めてお祈りしたい。 生前の井上さんが語っていた内容のうち、印象深く思い出される話が2つある。ひとつは青春を捧げた国際プロレスの哀史。そしてもうひとつは最後に所属したプロレス団体ノアを襲った「巨額詐欺事件」にまつわる証言である。
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