もしあなたが《余命宣告》を受けたらどう行動するのが正解か…? 美しい最期を実践するための「10の心得」
余命宣告はあくまで「目安」
死ぬことはたしかにこわい。ただ、死を過度に恐れなくていい。開き直ることも大切かもしれない。 『70歳からの正しいわがまま』の著者である看取り医の平野国美氏が、千葉県に暮らす伊藤正孝さん(仮名・享年82)に出会ったのは、昨年夏のこと。末期がんで余命いくばくもなかったが、彼にはある願いがあった。 「伊藤さんはサッカーが大好きで、長年応援していた鹿島アントラーズの試合を生で観戦したいという思いがありました。リスクがありましたが、家族のサポートを受けながら必死にリハビリをして会場へと行くことができました。最期は『やりきった!』というような笑みを浮かべて、旅立っていかれました。 末期になったら、安静にしなくちゃいけない、家族に迷惑をかけてはいけないと思う方も多いかもしれませんが、それが必ずしも正しいとは限らない。医者は『大人しくしてなさい』と怒るかもしれません。でも、死というゴールが見える時期に差し掛かったら、やりたいことは動けるうちにやってしまったほうが未練のない最期を迎えられると思います」(平野氏) 同様に、余命宣告もあくまでひとつの目安程度に考えておけばいい。たとえば、半年の余命宣告を受けたとき、「自分の命はあとそれだけなのか……」と悲観すると、人生の最終盤で活力を失ってしまうからだ。前出の後閑氏が言う。 「余命とは医学的データによる確率や医師の経験則から来るもので、どんな名医でも正確な余命宣告ができるのは3割程度です。余命半年と言われても、もっと長いこともあれば、もっと短いこともあります。重く受け止めず、あくまで目安として『まだ自分は頑張れる』と期待しながらいざという時の準備をして暮らしていれば、不安も少なくなると思います」
死をポジティブに捉える
「いつ死んでもいい」という人生の段階に入ったなら、病名にこだわる必要はない。 「精密検査を受けないという選択肢も一度考えてみてほしい。検査を受けてがんなどの病名がつくと、それがタグとして生活につきまとい、萎縮してしまう場合があります。知らずにいれば、いつか身体が動かなくなる日まで、気兼ねなく自由に生きることができる。『知らぬが仏』というのは、案外悪くないものです」(前出・平野氏) 比較なんてしなくていい 死をポジティブに捉えること。それもまた、人生の後半戦を生きるうえでの大切な心得。前出の後閑氏は「清潔な服を身につけたり、化粧など身なりを整えたりすることも大事」だと語る。 「ある80代の女性患者の方は、死んでもう一度、夫と会えることをとても楽しみにしていて、そのためにまだ自分で動けるうちから、自宅を処分して入院されてきました。そんな彼女は『いつ夫と天国で会ってもいいように、綺麗にしておくのよ』と言ってお化粧をするのが日課でした。 私は彼女の意思を知っていたので、寝たきりになって意識が無くなった後も、お化粧とまではいかないまでも、本人がしていたように毎日化粧水を塗ってあげていました。最期は夫と会えることを楽しみにしていたからなのか、とても幸せそうに亡くなられました」