膨大な費用、時間、手間、果てしない心労…「法的紛争は避けるに越したことない」という結論に至った元裁判官が、その方法を教えます
「自分が被告になってしまう」可能性もある
なお、以上は、あなたが原告ではなく被告になる場合についても、同様にいえることです。 訴えることは自由であり、憲法上の権利(32条)でもあるわけですから、訴えられれば、たとえその訴えが理由のない可能性の高いものであっても、被告には、応訴する義務があり、出廷せず書面も提出しなければ、相手方の言い分を認めたものとみなされて、敗訴判決を受けることになります(民事訴訟法159条1項、3項)。 そして、たとえ原告の訴えが不当なものであっても、応訴の心労や手間は、やはり、非常に大きいのです。 言いがかりや理不尽な主張であっても、事情を知らない第三者である裁判官にそのことを納得してもらうためには、トラブルの経緯や自己の見解をまとめた資料を用意したり、みずからの主張を裏付けるための客観的な書証(書面による証拠。たとえば契約書等)を集めたり、証人を用意したりしなければなりません。 普通の市民がこれをするのは大変なことですし、弁護士に委任すれば、当然のことながら、相当の出費が必要になります。また、弁護士に委任した場合であっても、すべてを任せられるわけではなく、やはり、説明のための準備や資料の収集は必要です。 こうした訴訟対策に費やされる時間と精神的なストレスは、たとえば簡裁訴訟事件のような小さな事案であっても、非常に大きなものになりえます。 また、裁判というものは、結果が明確に予測できるものではありません。時としては、あなたには理不尽なものに思われる相手方の訴えが認められることも、ありうるのです。
法的紛争は「避けるに越したことはない」
法律や裁判制度は、民主主義社会の基盤であり、権利の侵害については、司法によるすみやかな救済が必要です。つまり、司法も裁判も、民主主義社会や私たちの市民生活の重要、不可欠な要素なのです。 しかし、一方、避けられる紛争や危険は避けるに越したことはないのも事実です。 訴訟を始めとする法的な紛争解決手段は、権利保護・実現のために必要なものですが、先にも述べたとおり、当事者、関係者にきわめて重い負担を課するものでもあるからです。 医療については、治療とともに、それに先んじる病気の予防が重要であるのは、理解しやすいでしょう。法的紛争とその救済についても、同様のことがいえます。その治療、つまり法的な解決とともに、それに先んじて紛争や危険を避けること、予防が重要なのです。 また、日本固有の事情としての、法的システム全体の弱さという問題もあります。 残念ながら、日本の裁判システムはなおさまざまな問題を抱えており、原告・被告とも、訴訟に対する満足度はあまり高くはなく、時間と費用を費やしても十分に納得できる結果が得られるとは限らないというのが実情です。 さらに、普通の市民の出あう法的紛争のうち小さなものについては、弁護士が扱ってもペイしない、金銭的に引き合わないものが多いことも、否定できません。そうした紛争に弁護士がかかわるには法律扶助制度の充実が必要なのですが、これについては、日本は、国際的にみても明らかに後れをとっており、第9章でふれる法テラス制度でようやく小さな一歩を踏み出したところというのが実情です。 日本の民事訴訟件数が相対的に少ない理由の一つは、このことにあります。