33歳から「5浪で大学院」目指した彼の強い決意。大学も2浪で合格、数々の学び経た彼のその後
■自分の弱さと甘さを認めて猛勉強 横浜翠嵐高校に行った友人も横浜市立大学の医学部に現役で進んだことを聞き、ようやくすべてを犠牲にして勉強をする決意が固まった鷲北さんは、高校の友達を集めて「俺はバカだ!」と宣言します。 自分の弱さ・甘さを認めた彼は、1つの参考書をボロボロになるまで何度も何度もやり続け、1日平均15時間勉強しました。その甲斐あって、この年の最後に受けた模試の偏差値は60まで到達します。
共通1次試験の過去問でも7割以上の得点が取れるようになり、今年こそしっかりと実力がついたと思った鷲北さん。しかし、4回目の共通1次試験は、前年度からさらに問題が難しくなったために現役時と同じ程度の点しか取れず、方針の転換を迫られることになりました。 「2浪目はさすがにどこかしらに行かないとまずいと思って、何かしら専門性のある理系学部を受けたほうがいいと思いました。横国大と早慶の文系学部にも出願したのですが、北里大学の海洋生命学部ともう1校から合格をいただいたことで、気を抜いてしまい、その後の試験では全落ちしました」
こうして鷲北さんは2つの大学に合格し、北里大学への進学を決めて2浪の生活を終えました。 北里大学に入った鷲北さんは、浪人時代の自身の取り組みに納得がいかず、もう一度受験をしようと仮面浪人を決意しますが、共通1次試験で失敗し、諦めて卒業する決意を固めます。 就職活動では念願だったニッポン放送の役員面接まで残ったものの悔しい不採用。ほかに内定をもらった横浜の広告代理店に新卒で入社します。その後「ヤンキー」たちが多い高校で2年間教員として働き、子どもたちとより深く関わるためにヤンキー再生塾を始めます。
■大学院受験を決意した悲しい出来事 そこでヤンキーだった生徒を更生させて、千葉大学や東京学芸大学に合格させるなど実績を残した鷲北さん。口コミで塾の評判も広まっていったそうですが、33歳のとき、ある事件がきっかけで大学院受験を決意します。 「自分を信頼してくれていた生徒の父親から電話がかかってきたんです。どうやら酔っ払っていた様子でした。その方は旧帝大の出身だったのですが、私の経歴を批判され、『お前に教える資格あんのかよ! この負け犬が!』と言われたんです。