33歳から「5浪で大学院」目指した彼の強い決意。大学も2浪で合格、数々の学び経た彼のその後
それでも相変わらず、「子どものころの自分は勉強ができたから、ちょっとやれば人生逆転できるんだ」と思い込んでいたと語る鷲北さん。 ■思わぬアクシデントで2浪が確定 秋からは、1日10時間程度の勉強は続けていたため、現役のときよりも実力がついてきましたが、施行3回目の共通1次試験では、急に問題のレベルが上がり、それに加えて思わぬアクシデントもあって、惨敗に終わってしまいました。 「ちょうどこの年、付き合っていた子がいたのですが、クリスマスのときにいろいろあって別れてしまいました。そんな中、国語の試験で川端康成の『火に行く彼女』が出題されたんです。別れた恋人が夢に出てくる話で、読んでるうちに感動してしまい、試験では自滅してしまいました」
そのほかの科目もボロボロだった鷲北さんの2度目の共通1次試験の結果は、420/1000点と、前年よりも大幅にダウンします。 この年も横浜国立大学と早稲田、慶応、立教と出願したものの、全落ちで2浪が確定しました。 1浪目の受験が終わるころには「2浪する気満々だった」と語る鷲北さん。この年は予備校の授業についていけないと思い、自宅浪人を選択します。 最初に受けた模試では偏差値50と今までで一番の結果だったものの、前年同様、夏までは勉強に前のめりになれませんでした。そんな彼を変心させたのは、早稲田に合格した友人でした。
「舞岡高校時代の友人が母校初の早稲田合格者になったのです。彼に勉強法を聞いたら、日本史の参考書を渡されて、『質問してみ?』と言われました。そこで8代将軍吉宗が何をやったかを聞いたら、やったことと、それが教科書の何ページのどの場所に書いてあるかまでズバリ答えられたのです。 彼はどの科目の参考書でも、何ページのどの場所に何が書いてあるかを正確に言えたんです。そんな彼に『お前、甘すぎるんだよ』と言われて、これだけ勉強しなければ受からないんだと目覚めることができました」