33歳から「5浪で大学院」目指した彼の強い決意。大学も2浪で合格、数々の学び経た彼のその後
希望していたラジオ局に入社するためには4年制大学に入ることが必須であったために、大学に行くという目標はブレなかった鷲北さん。一方で高校3年生の10~11月までは課外活動や音楽活動にいそしんだために受験勉強は12月ごろから開始します。 受験に間に合わせるには遅すぎるスタートですが、それでも思ったよりも点数が取れたことで、鷲北さんの自信はさらに増幅してしまいました。 「共通1次試験は510/1000点しか取れませんでした。それでも、『こんなにちょこっと勉強しただけで、50%いくんだ!』と思って、勉強をなめてしまったのです。浪人して大学に行けばいいや! と思い、地元の横浜国立大学だけ出願して、不合格に終わりました」
当時の共通1次試験は実施され始めてから2年目。まだ日が浅かったために、問題が比較的簡単だったことに、当時の鷲北さんは気づかなかったそうです。 こうして鷲北さんの現役時の受験は終わり、浪人を決意します。 浪人した理由を聞いたところ、「とりあえず上位校に行きたかったから」との答えが返ってきました。 「父親が横国大の出身だったので、横国大か早慶に行きたいと思っていました。通っていた高校の卒業生は神奈川大や関東学院大に行く人が多く、偏差値25だった自分は現役で受かるわけがないし、もっと上を目指すことを考えると、浪人をするのは当然の選択でした」
「1浪が当たり前の時代だった」こともあり、代々木ゼミナールの国立文系コースに入って勉強を始めた鷲北さん。 しかし、予備校に通って勉強を続けようと試みても、高校時代からの落差で、夏までは抜け殻のようになってしまいました。 「現役までほぼノー勉だった人間なので、予備校に少しは顔を出していたのですが、授業にまったくついていけませんでした。模試の偏差値は相変わらず30くらいで、いいときが35という感じです。授業がわからないことに加えて、高校時代の文化祭のステージの快感が忘れられなくて、楽しかった高校時代を思い出してしまい、勉強に手がつかない状況が続きました」