「思いあれば誰でも発信を」 17歳高校生平和大使がオスロの若者につなぐ被爆者のバトン
【オスロ=木下倫太朗】広島、長崎に原子爆弾が投下されてから79年。被爆者の高齢化が進む中、被爆者の思いを受け継ぐ次世代の存在が、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のノーベル平和賞受賞を後押しした。なかでも長崎の市民団体が選出し、毎年、核兵器廃絶を求める署名を国連欧州本部に届ける「高校生平和大使」は、国内外に向けて発信を続けてきた。 【写真】オスロ郊外の空港に到着し、VIPターミナルで取材に応じる被団協代表団 ■広島と長崎にルーツ、曾祖父母が被ばく 「広島、長崎の被爆者の血を継いでいると知り、私にしかできないことがあると責任を感じました」。曽祖父母が、広島と長崎でそれぞれ被爆した広島市立基町高校2年の甲斐なつきさん(17)は、平和大使として活動したきっかけをこう語った。 広島県呉市にいた曽祖父の渡辺新一郎さんは広島市に原爆が投下された昭和20年8月6日の翌日、救助のため市内に入り被曝(ひばく)。当時14歳だった曽祖母の内藤和子さんは9日、爆心地から約1・3キロの長崎市内の軍需工場で被爆し、両親や弟2人を失った。 自らが被爆4世だと知ったのは、中学2年だった令和4年の春。広島と長崎にルーツがあることから「もしかしたら」と祖母に尋ねた。祖母は、曽祖父母が被爆者であること、自身も被爆2世として悩んだことを教えてくれた。ロシアがウクライナ侵略を開始したばかりの時期で、戦地の映像に接することが多かった。自らのルーツにウクライナの惨禍が重なり、「歴史」だった戦争が「自分事」となった。 今年6月に市民団体から平和大使に任命され、街頭での署名活動や、広島市中区の平和記念公園の慰霊碑に観光客らを案内するガイドを担った。8月にはスイス・ジュネーブの国連欧州本部を訪問。国連軍縮局を訪れ、曽祖父の被爆経験について英語でスピーチし、核兵器廃絶を求める約9万6千筆の署名を届けた。 ■「自分事として考えてもらうために」 活動の中で感じた課題がある。署名には、修学旅行生や家族連れ、団体ツアーの中高年など国籍を問わず多くの人が好意的に応じてくれた。ただ、20~30代の日本人は少ない。「核兵器のない平和な日本が当たり前過ぎて、戦争が現実の話と思えないのかも」。世界に目を向けると紛争は各地で起きており、核兵器使用の脅威も取り沙汰されている。「同じことが日本で起こったらどうなるか、自分事として考えてもらうためには訴え続けることが大事」 ノーベル賞委員会は今年10月、被団協の平和賞受賞決定の際、「日本の新たな世代が被爆者の経験と思いを語り継いでいる」と次世代の継承について触れ、「世界中の人々を奮い立たせ教育している」と評価した。甲斐さんもそうした活動を担う一人だが「被爆者の声は永遠ではなく限りある」と惨状を知る人々の高齢化に焦りも感じている。