なんと「あおり運転させない」クルマ…!ココロが「丸ハダカにされてしまう」自動運転が目指す衝撃の未来
人間はどんなときに運転を「楽しい」と感じるのか
クルマをつくって売っている以上、まず知りたいのは、乗り心地のよいクルマとは何か、人間はどんなときに運転が「楽しい」と感じるか、ということのようだ。 「研究によって、運転が楽しいと感じるためにとくに大事なのは、心理学でいう『行為の主体感』だということがわかってきました。つまり、自分が主体的にこのクルマを操っているという感覚です。これがないと、運転していても楽しくないんですね。 たとえば、アクセルやブレーキなどが自分の直感とダイレクトにつながって動かないと、その主体感が損なわれる。加速や減速のタイミングが、自分の感覚より早すぎても遅すぎても、自分が運転している感じがしないんです」 昔の、ハンドルをぐるぐる回して開閉したウインドウがそうだったように、アナログな機械には「自分で動かしている」という実感があった。しかし、コンピュータで制御されるデジタルな機械は、スイッチを入れれば勝手に動くので、そういう「手応え」がない。 それでも、スイッチを押すとピピッと音が鳴ったり、ライトが光ったりするなどの反応があると、なんとなく「主体感」を持つことができる。 「自分がそれを『コントロールできている』と感じることは、人間にとって本質的な『快』なんだと思います。いま、テクノロジーはその『手応え』も用意しようとしているわけですが、ユーザーがそれに気づいてしまうと、主体感が高まらないことも研究からわかっています」 「だからこれからは、機械がすべてやっていると気づかれないように『さりげなくアシスト』することが、大事なテーマになってくると考えています。このことは自動車にかぎらず、バーチャル・リアリティの研究でも重視されています。その意味でも、これから工学の分野では心理学の出番が多くなると思いますよ」 「自動運転」なのに「主体感」を感じさせるテクノロジー面白いのは、その「主体感」が、クルマの自動運転でも求められることだ。しかし、ユーザーが何もしなくても目的地まで連れていってくれるのが自動運転だから、いわば「全面的アシスト」である。全然さりげなくない。だったら、バスやタクシーのように主体感ゼロの「おまかせ」でいいような気がしてしまうのだが、そういうものではないらしい。