民主主義に合わない「日本人の国民性」
塚原 康博(明治大学 情報コミュニケーション学部 教授) 民主主義とは、政策や社会に関する決定にみんなで関わり合う政治体制のことです。しかし、戦後日本は民主主義の国であるにもかかわらず、自分の気持ちや考え方が、国・自治体の政策にまったく反映されていないと感じることはないでしょうか? もしかすると「日本人の国民性」が影響して、日本では民主主義がうまく機能していないのかもしれません。
◇自己主張を抑制し「周りの空気」を読む国民性 私は経済学を中心にとした公共政策の研究に長年取り組んできました。しかし、経済学の本場であるアメリカの文献から読み取れる理論や分析の手法を日本のデータに当てはめてみても、どこかチグハグな印象が受けることが多々ありました。 研究を始めた当初はデータのとりかたに問題があるのかと考えていたのですが、長く続けていくなかで、そこには「国民性」という要素が関係しているのではないかと考えるに至り、2022年には多角的な考察をまとめた『日本人と日本社会 社会規範からのアプローチ』という本を上梓しました。 グローバル化や情報化の進展もあって、世界の人々の生活様式は標準化の方向に進んでいるように捉えられがちです。しかし、何を価値基準として重視しているかを考えてみると、やはり国によって社会規範が異なるがゆえに出現する「国民性」の違いが、その国の制度や人々の行動に影響を与えているのは事実だと思います。 たとえば、日本の現在の政治制度は議会制民主主義ですが、一言で民主主義といっても、日本社会に当てはめた場合にうまくいっていない部分があるというのは、昨今の「政治とカネ」の問題や「有権者の政治不信」をみても納得されるでしょう。 たしかに民主主義は、権威主義体制や独裁などと比べれば優秀です。ただし、それが機能するにはいくつかの必要条件があります。その問題意識において「日本の民主主義には何が足りないのか」という根本に立ち返って考えてみたいと思います。 まず、民主主義が機能するためには、一人ひとりが平等に政治に参加して、「自分の意見をもち、それを主張すること」が必要です。異なる意見をもった人の間で議論が戦わされ、議論の末に意見が集約されて、政策が決定されます。 ところが日本では、この大前提がうまくいっていません。というのも、日本人は周りに受け入れてもらうために、自己主張を抑制しがちだからです。自己主張は、異なる意見をもつ人との対立や軋轢を生じる可能性があるので、それを避けるために「周りの空気を読む」ように育てられるからかもしれません。 自己主張を控えがちな日本では、議論を戦わせて有益な意見や政策に到達するよりも、周りとの良好な人間関係を維持することが優先されます。つまり、日本人は自分で考えたり人と議論をすることに慣れていないのです。そもそも自己主張ができないと、議論を通じてよりより政策をつくったり、妥協点をさぐろうとしても、最初の段階でつまずいてしまいます。