民主主義に合わない「日本人の国民性」
◇なぜ政治に不満があっても大規模デモが起きないのか? 「国民に忖度する政治」の帰結として、負担を先送りにして、国民全体への利益供与を優先するため、政府のGDPに占める財政赤字は先進国中でも、突出した大ききに達しており、将来世代への多大な借金の先送りが危惧されています。 IMF(国際通貨基金)の「World Economic Outlook」2024年4月によると、GDPに対する一般政府の債務残高の比率は、欧米の主要先進国が概ね100%から120%であるのに対して、日本のそれは、2倍以上の250%を超えています。 負担や変化が必要な場合でも、それは大きな痛みをともなうため、国民がそれを必要であると理解していても、日本人は安心・安定・安全に大きな価値を置くので、国民レベルでそれを徹底することには拒否反応を示します。政治家はそれを忖度し、大きな負担や変化をともなうような政策を公約にあげず、それが実行されることはありません。 他方で、日本政治では政策以前の事柄が問題となっており、民主主義において重要な政策論議が後退していると言えます。たとえば、政治資金パーティーで得た収入の一部を政治資金収支報告書に記載せず裏金として使っていたとされる、いわゆる「裏金問題」の解決に多大な時間を要していますが、マスコミ各社の世論調査をみると、政権が示した解決案に国民はあまり納得していません。 ところが、マスコミには「不満がある」と答えているにもかかわらず、現実には政権を脅かすほどの大規模なデモが各地で起きたり、このような状況を一新するような新たな政治勢力の結集が生じているわけではないのです。その背景にもまた、「本音と建前」を使い分ける「日本人の国民性」が反映されているように思われます。 中根千枝やルース・ベネディクトが指摘しているように、日本社会は、日本独自の上の者が下の者を配慮し、下の者が上の者を慕う「序列社会」「階層社会」であり、社会の各地位に就いた人は多少のブレはあったとしても、その地位にふさわしい役割を果たすものであり、概ね実際もそうしているという信念を日本人はもっています。 このような考え方は、政治家の地位にある人にも適用されるので、日本人の多くは、政治家が決定的におかしなことをするとまでは考えておらず、それが政治家への強すぎない反発を説明していると思われます。