『母を葬る』そのとき、あなたは? 秋吉久美子さん・下重暁子さん対談
――下重さんの母親の遺品を整理していたら、ベッドの近くから短刀が出てきたというエピソードが本で紹介されています。 秋吉 下重さんのお母さまは、死の覚悟を一つの美学として持っていらしたと思うんですよね。短刀を胸に抱いて死の覚悟を持つ、みたいなね。 でも私の母は、本当に丸裸で死の前に放り出された人っていう気がしたんです。これまで死を覚悟したこともなければ、そもそも死と向き合うという考えも無かったんだろうなって。病気になった後は、本当にシンプルに死を恐れていました。自分が死ぬということを受け入れがたくて、「なんとかしてよ」と私に期待していたのかな。「私は死にたくないけど、今から死ぬんだけど、あなたがうまく納めてなんとか大丈夫な状態にしなさい」みたいな。結局、母が望むようなプロフェッショナルなみとりは出来なかったという後悔が、いまだに続いていますね。 ――それは本当にもう教会の牧師さんですら難しいような…… 秋吉 母の死後、私は(キリスト教の)洗礼を受けました。神父様としゃべる機会もありますが、やはり「誰にとっても難しい」とのお答えでした。でも、その役割ができるだろうと過剰な期待を私に持ってしまっていたんですよね。私に対する母の自己犠牲のすべては、この時のつじつま合わせのためだったんじゃないかって、非常にショックを受けました。母は、甘えて甘えて亡くなりました。 ですが、亡くなった後でも、ああすればよかった、こうすれば良かったという後悔はずっと続いています。いまは自分のみとりの準備しているような感じですね。母が私に期待したものは果たせなかったんだけれども、それを自分で学んで、自分で自分のみとりをするんだろうなって。残された年月が間に合えばいいですけど、古希となり、私も人生の締め切りを感じるようになりました。考えすぎるのもつらいので、都合よくピンピンコロリを目指しています。 下重 締め切りがあって大慌てできるなら、まだゆとりがあります。本当に締め切り間近になったら、そんな大慌てするゆとりなんかない。もう目の前のことを一つ一つやっていって締め切りを迎えるしかないんですよ。開き直って、来るものは来い、というしか無くなっているから。 母親っていうのは娘にとっては2人で1人、ちょっと変だけれども、そういう存在ですね。うちの母と一緒の存在だなんて認めたくないんですけども、最近は認めざるをえないなあって。それは一番深いところで自分の生き方、自分の死ともつながってるわけだから。今回の本は、とても良いチャンスを頂いたと思っています。
下重暁子(しもじゅう・あきこ) 1936年生まれ・59年、早稲田大学教育学部卒業。NHKでアナウンサーとして活躍後、民放キャスターを経て文筆業に。著書に『家族という病』『極上の孤独』など多数 秋吉久美子(あきよし・くみこ) 1954年生まれ。72年、映画『旅の重さ』でデビュー。『赤ちょうちん』『異人たちとの夏』『深い河』など出演多数。早稲田大学政治経済学術院公共経営研究科修了