『母を葬る』そのとき、あなたは? 秋吉久美子さん・下重暁子さん対談
死は必ずしも年齢順に訪れるものではありませんが、親のみとりは多くの人がいやおうなく経験するものです。あなたは「そのとき」をどう迎えますか? 「母の死を前に、私はまるで自分の子どもを葬(おく)るかのような気持ちになりました」という俳優の秋吉久美子さん(70)。「私が死ぬときが本当に母が死ぬとき。寂しさはない」という作家の下重暁子さん(88)。11月18日出版の『母を葬る』(新潮新書)で、母のみとりをテーマに語り合った2人に、母親とその死が自身の人生に持つ意味について聞きました。(聞き手・構成 伊勢剛、写真 伊藤菜々子) 下重 家族の中で母親というのは非常に大きな存在です。でも一番近しいから一番難しい。本当は何が好きで何を考えているのか? たくさんしゃべっているようで、本音を聞いていないんですよね。母を語るっていうのは非常に難しいです。 秋吉 母を葬るっていうのは一大事業なんじゃないかな。父をみとったときは、1人の人間が生きて死んだ、ということを事実として受け止められたんですが、母を亡くしたときは後悔とか憐憫(れんびん)とか、いろんな感情がわいてきました。母の自己犠牲的な愛を受け取って当然だと思っていたことに良心の呵責(かしゃく)みたいなものがあって、いまだに割り切れない思いがあります。 下重 私は父親や母親に反抗することが私の仕事、みたいに思っていました。戦争が終わったときに小学3年生でしたが、結核になって疎開先の家でずっと隔離されていたんですよ。腫れ物をさわるように育てられて、母はなんでも言うことを聞いてくれました。だからもう、わがままというかなんというか……。中学生のころには、私の目の前に母を座らせて説教してしまったぐらいです。「あなたの生き方は間違っている」「もっと自分のために生きなさい」って。母が当時、父や子どものためにだけ生きているように見えたんです。 反抗にはものすごいエネルギーがいるので、私も結構つらかったですけどね。でも、父や母への反抗があったから、現在の私ができたと思っています。約35年前に母が亡くなったとき、目の前で私のすべてを守ってくれた屛風(びょうぶ)のようなものがなくなり、反抗するものもなくなってしまいました。その10年ぐらい後に父が亡くなり、最近やっと素直になって、母親や父親というものを考えることができるようになったと思います。 秋吉さんは全然私と違うわけね。話していると長女でしっかりしていて、お母さんみたいな人です。お母さんがとても可愛い方だったらしいので、秋吉さんがお母さんみたいにして、お母さんと付き合っていたんでしょう。