私たちはみんな、エイリアン。中国籍、日本生まれ日本育ちのチョーヒカルさんと語る、自分を愛すること
チョーヒカルさんが「エイリアン」という言葉に込めるもの
―以前チョーさんはインタビューで、創作のモチベーションに怒りや疑問があるという話をされていました。エッセイ『エイリアンは黙らない』でも、「私達はもしかしたら圧倒的に怒る経験が足りないんじゃないか」と題した一編があります。 チョー:「言わぬが花」ということわざがあるように、我慢するほうがエライとか、大人だという空気感が日本全体にありますよね。 でもアメリカに行ってから、それは誰のためになってるんだっけ? とすごく思うようになりました。日本だと言わずとも「汲んで」くれることがあるけれど、アメリカはそういった文化はないので、言わなければ伝わらないし、むしろ言わなかった分だけ踏んづけられてしまう可能性がある。自分の思ったことや怒りを表明していかなきゃいけないと思いましたし、日本にいたときのことを考えてみると、怒らなかったり言わなかったりしたことで、結局得をしたのは私じゃなかったな、と思ったんですよね。 ―エッセイ『エイリアンは黙らない』や、チョーさんが関わっているNHKの『プロジェクトエイリアン』など、「エイリアン」という言葉がよく使われています。この言葉は、チョーさんが大事にするモチーフの一つなのでしょうか? チョー:エイリアンというコンセプトは昔から好きだったんですが、番組名やエッセイのタイトルに使い出したのはニューヨークに行ってからです。アメリカは移民のことを「Alien(エイリアン)」と法的に表記してきたんですね(※)。 (※)CNNによると、合衆国法典では「alien(エイリアン)」という言葉を「米国の市民権も国籍も持たない人物」と定義しており、バイデン政権は2021年、この言葉や「illegal alien(不法移民)」という言葉を使用しない法案を提案した。 チョー:排他的な言葉ではあって、この言葉が問題視されたことにほっとした部分もあるものの、エイリアンという言葉には独特のカルチャーやかっこよさも付随しているように感じていました。 私はネイティブではないので、英語のネイティブの人からすると、もしかしたらもっと排他的に感じられるのかもしれないんですけど……。「エイリアン性」は自分自身を孤独にしがちなものかもしれないけど、それを逆手に取ってむしろかっこいいものに意識改革ができたら、自分の個性もより愛せるようになれるんじゃないか、と思ったんです。 ―エッセイ『エイリアンは黙らない』には「私たちはみんなエイリアンで、みんな一人ひとり違って、違うということだけが私たちに共通していることだと思うことはできないだろうか」という文章があって、すごく素敵だと思いました。NHKの番組はどんな番組なのでしょうか? チョー:『プロジェクトエイリアン』の概要を話すと、まったくの他人である4人の方々がエイリアンのアバターを使ってVR上で出会い、月を目指すという番組です。アバターを使っているので顔も見えないし、自分のバックグラウンドやアイデンティティ、何の仕事をしているかなど、何も明かさない。お互いが「エイリアン同士」の状態で知り合ってもらって、月に入るときに自分が何者かを明かしてもらいます。 そのとき、例えばその4人の中に違う意見を持つ人がいたり、普段だったら相容れないアイデンティティを持った人がいるかもしれない。それでもまだ対話が続くんだろうか、ということを見守るVR社会実験ドキュメンタリーみたいな番組です。 ―ディレクターの方もnoteで番組への思いを書いていて、すごく熱意が伝わってきました。 チョー:もともとは、マイノリティの人の存在や声をより拾える場所をつくりたいという思いからはじまったプロジェクトでした。 私自身はニューヨークに行く前、「もう国籍とか人種とかどうでもいいじゃん、私は私」みたいな感じだったんですよね。でも、やっぱり集団に属して安心したいという気持ちからはどうしても逃げられなかったんです。 だから、集団に属したい気持ちを一度認めたうえで、排他的ではない、みんなが安心して属する集団をつくったらいいんじゃないかと思いました。みんなの声を拾い上げることができて、みんなが安心して属することができる場をつくれないかと思ってプロジェクトの枠組みをつくっていきました。 ただ、それを番組にするとなったとき、それこそエンターテインメント性みたいなものがないとテレビ番組として成り立たないので、ディレクターさんとは結構言い合いをしました(笑)。 ―番組として成立させるために工夫していることは? チョー:アバターやVRの世界観とか、ビジュアルやデザインで「とっつきやすさ」をどうつくるかというところは私自身取り組んでみて、すごく学びになっているところです。 もうひとつ、番組をはじめてから大切だと思ったことが、言ってほしいことや言いたいことを押し付けないということですね。はじめる前は「対話の大切さ」みたいなテーマを結構大きく持っていて、こんな2人を掛け合わせてみたらこうなるんじゃないか、みたいなことを考えたりしていたんですけど、そういう介入はせず、できる限り楽しく人と知り合える場所だけをつくって、あとは本人たちにやってもらいましょうというのが一番いいかたちだなと思いました。 ―自分たちの伝えたいストーリーをつくるのではなく、その人たちが知り合っていく場をつくるという原点に立ち戻るということですね。すごく素敵です。