村松友視「昭和を代表する小説家・武田泰淳さん、ベストセラー『富士日記』を著した妻・百合子さん、DNAを受け継いだ娘の武田花さん。稀有な才能に満ちあふれた一家だった」
2024年4月30日、写真家の武田花さんが亡くなった。父は昭和を代表する小説家・武田泰淳さん、母・百合子さんは夫の死後に発表した随筆が大ベストセラーに。そんな二人を編集者として担当したのが、後に作家となった村松友視さんだ。武田家と長く親交を重ねてきた村松さんが花さんを偲ぶ(構成=篠藤ゆり) 【写真】花さんが撮影した、武田山荘のベランダでくつろぐ百合子さんと猫のタマ * * * * * * * ◆父から贈られたカメラ 花さんが泰淳さんからペンタックスSVをプレゼントされたのは、19歳の時だそうです。 泰淳さんが「うちの娘は、何もしなくてぼーっとしている。学校の勉強もできないし、困った」とある方に相談したところ、「カメラでも持たせれば何かやるんじゃないか」と言われたとか。結果的に、それが花さんの人生に大きな意味を持つことになったわけです。 写真家・武田花が使っていたのは、フィルム交換がしにくいライカM2だそうですが、交換にかかる時間を煩わしくは思っていなかったみたいですね。一瞬のシャッターチャンスを狙って、ピュッと写真を撮るタイプではないんでしょうね。
最初は、一般的な目にはわかりにくい写真かなと思っていましたが、徐々に多くの人が武田花の写真に魅力を感じるようになった。90年には『眠そうな町』で、写真界の芥川賞とも言われる木村伊兵衛賞を受賞しました。 花さんの写真がそういう認められ方をしたことをちょっと意外に感じましたが、本当によかったなと思いました。 そのうち花さんはエッセイも書くようになっていきます。百合子さんのように160kmのズバーンとした速球ではなく、ゆるくて回転していないナックルボールみたいな感じというか。 それは、花さんの生き方にも通じるんじゃないか。そんなふうに、じわ~っとした存在感があることを、百合子さんはある時期から理解していたのではないか。 ちょっぴり困った娘だと思っていたわが子のなかに、やっぱり見るべきものがあったと確信した時があるような気がしますね。 その頃から、母子の距離が近づいていったんでしょうね。武田山荘で、二人で過ごす時間も増えていったと聞いています。
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