村松友視「昭和を代表する小説家・武田泰淳さん、ベストセラー『富士日記』を著した妻・百合子さん、DNAを受け継いだ娘の武田花さん。稀有な才能に満ちあふれた一家だった」
◆唯一無比の表現者 よく、少し人慣れした野良猫が、あちらの家でもこちらの家でも、なんとなくそこが居場所みたいな感じでしばらくいついたりしますよね。花さんもそういうところがあったのか、ある時期から、男性の家で過ごしたりするようになった。 ある年の元日、泰淳さん亡き後、たぶん百合子さんは一人で寂しい思いをしているに違いないと思って、「うちでお正月やりませんか?」と声をかけたことが2~3回あります。 当時、わが家は半分壊れかけみたいなボロ家で、隙間風がビュービュー入ってくる。百合子さんは毛皮のコートを着たまま炬燵に入り、おせち料理をつまんだりしていました。 好きな音楽は、遠藤賢司やブルースバンドの憂歌団。ジャズは、ジミー・スコット以外は受けつけないと花さんは言っている。 ジミー・スコットはしわがれ声を絞り出して、おじいさんだかおばあさんだかわからないような声を出す特異なシンガーです。花さんとジャズはそれほど結びつかないけれど、ジミー・スコットならわかる気がします。
いろいろなバイトもしたそうで、水商売の経験もあるようですけど、口下手だったし、男性を相手にするような商売は難しかったんじゃないか。ちょっとうらぶれた小さな店で、お客さんの悩みを聞いてあげて、ぼそっと何かひとこと、アドバイスともつかないようなことを言う――そんな人生相談請負人なら想像できますが。 百合子さんは、「この中のものは私が死んだら燃やすこと」と書いた紙が貼ってある茶箱を残して旅立ちました。 花さんは百合子さんの没後、その箱を富士山荘に持っていき、箱の中のノートや本を約束通り中身を見ずにすべて燃やしたそうです。百合子さんは、花さんなら必ず遺言通り燃やしてくれると信じていたんでしょうね。 僕はずっと、百合子さんは唯一無比で、あんな人はほかにいないと思っていました。その娘である武田花さんも、けっきょく唯一無比の表現者に仕立て上がった。本当に稀有な才能に満ちあふれた一家でした。 (構成=篠藤ゆり、撮影=大河内禎)
武田花,村松友視
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