体操の内村航平が引退会見(全文2)オリンピックは自分を証明できる場所だった
通らなければいけない道だった
で、プロになって、普及のことなど、体操の価値を上げたいということなど、いろんなことを考えてやっていた中で、結果はリオオリンピックまでとは程遠いぐらいの結果でしたけど、その中でも体操を突き詰めていくっていうところを考えると、一番濃い5年間だったかなと思いますね。リオオリンピックまでの自分と今の自分だと、体操に対する知識がかなり増えて、今、世界中のどんな体操選手、コーチよりも自分が一番知っているという自負があって、それだけこの5年間でいろんなことを研究して、知ることができたし。で、やっぱり終わりがないことも知れたので、やっぱり今後もずっと勉強し続けていくことで、知識の幅もかなり、もっともっと広がっていくし、こうして今日引退することで、それをいろんな人に伝えていけるので、そういう意味では通らなければいけない道だったのかなというふうに思っていますね。 やっぱりいいところばっかり知り過ぎてたので、挫折とか落ちたところからの這い上がる力とかっていうのを、もう知れたっていうのは、今後、人に伝えていく立場として知らなければいけなかったことだと思うので、やっぱり栄光も挫折も経験できたっていうのは、自分だけじゃなくて、本当に今後、体操でトップを目指す、オリンピック金メダリストを目指す人たちに伝えていくっていう立場からすると、本当に貴重な経験をさせていただいたっていう気持ちが強いです。 司会:ありがとうございました。ほかにご質問ございますか。じゃあその隣の赤い腕章を付けた女性ですね。
未発表の技はあるのか
TBSテレビ:競技人生お疲れ様でした。TBSテレビ『サンデー・ジャポン』の八木と申します。私も大学まで体操を続けていて、2点ご質問なんですけども、1つは内村選手のお名前が付いている技っていうのが、まだないと認識してるんですけども、まだ未発表で出したくても出せなかった、もしかしたら内村っていう名前が付いていたかもしれないっていう技があったんでしょうかっていうのと。 あと内村選手といえばブラックサンダーが勝負飯と伺っているんですけれども、最近の勝負飯、またはこの会見を成功させるに当たって、今朝食べた勝負飯ってなんでしょうか、教えてください。 内村:今、未発表の技はもちろん何個かあります。やっていたら確実に内村という名前が付いていた技はもちろんあるんですけど、やはりこれまで個人総合でトップを維持するために、その技をやることをやめたといいますか、必要なかったので、やらなかったんですけど。実際2013年にアントワープの世界選手権で白井健三が跳馬でユルチェンコ3回ひねりという技を成功させてシライ/キムヒフンという技名になったんですけど、あの技は2010年の全日本選手権、種目別決勝で、僕は最初にやっているので、健三に取られたという技ですね。 でも実際、あれは本当に難しい技で、あれを僕は個人総合でやっていこうかなと思ったんですけど、あの1回でやっただけで、これは、この技は個人総合でやる上では安定をさせることが難しいと判断したので、やめたんですけど、3年後にそれを軽々飛ぶ坊主が現れたので、本当にこいつはどうなっているんだっていう気持ちで見ていましたね。だからそんなに取られたとか悔しいとかっていう気持ちよりは、こいつは本当にすごいんだなっていうふうに見ていました。 で、今こうして自身の名前の付いた技がない状態で引退を迎えましたけど、逆にそれもありかなというふうに今は思っていて、それだけやっぱり自分が個人総合を誇りに思って、やってこれたからこそっていう証明にもなるかなと思うので。それはそれでいいかなと思います。技名を1つ残すよりもすごいことを僕はやってきたと思っているので、それはそれでそこに誇りを持てているのかなと思います。 で、ブラックサンダーは勝負飯じゃないですよ。お菓子ですからね。飯じゃないっす。で、今日、会見を僕は勝負とは思っていないので、そもそも僕は1食しか食べないし、だから食べてないです、朝。水ですね。勝負水です。勝負水で今日やらせていただいています。 司会:ありがとうございます。ほかにご質問ございますでしょうか。じゃあその赤い腕章の後ろの、今、紺色の白いマスクの、はい。