「ええねん、ええねん」ダウン症の弟が、初めて稼いだ大金でおごってくれた“マクドの味”
お金で痛い目に遭うことも大事!?
ここからが本題。弟は、報酬として30年分の給与にあたるお金を手に入れた。母は言った。 「どうしよう。これは一応、将来のために貯金しておいて......」 わたしは答えた。 「いや、職人が稼いだお金やねんから、職人に渡して、好きに使ってもらおう」 母は驚愕した。 「あの子はお金の価値をようわかってないんやから、あぶないわ」 「お金の価値は使ってみな、わからんねん!」 わたしだって、子どものとき、大切なお年玉を縁日の『ニンテンドーゲームキューブが当たる1000円くじ』で全額スッて、吐くほど泣きながら、お金の価値を思い知った。 「もし誰かにだまされたり、盗とられたりしたら......」 「人生はな、落とした金をネコババされたり、貸した金を返してもらえんかったりして、ナンボやねん」 「ええ......」 「痛い目にあうっちゅーことは、強くなるっちゅーことや。その機会をな、うちらが勝手に奪ったらあかんと思う」 めちゃくちゃな理論でたたみかけるのだけは、我ながら達者だ。口から出任せを放つことにおいては、父ゆずりの才能がある。わたしはただ、弟がどうやってお金を使うのか、おもしろがってるだけである。 「困ったら、わたしがなんとかしたる!」 結局、報酬の3分の2は、将来なにかあったときのためとして弟の口座に納め、残りを弟に渡すことにした。それでも大金には変わりない。弟への受け渡し方法はICOCA(交通系ICカード)にした。 わたしは知っている。彼が、ICOCAにただならぬ憧れをいだいていることを。わたしがコンビニでピッてかざして決済してる時の、あのまなざしったら、もう。新品のICOCAに万単位でドカンとチャージし、弟に手渡した。弟は目を閉じた。 「ありがと......ありがと......」 ちょっと、こう、見たことがない種類の喜び方だった。最寄りのマクドとローソンで使い方を教えたら、光の速さでピッとしていた。そうやんな。いつも、200円とか300円とかの現金しか、持たせてもろてないもんな。ピッとするの、かっこいいやんな。 「好きなもん、買うてええねんで!」 「ええの?」 「あんたががんばって稼いだ、お金や」 「ええの?」 「せやけど、ちゃんと考えや」 弟にはちゃんと伝わっただろうか。でも、大切に使うかどうかも、決めるのは彼である。たぶん、ゲームを買うだろうと、わたしは予想していた。毎日、毎朝、毎晩、ニンテンドースイッチがほしいと言ってくるのだ。どんだけほしいんや。だから、ゲームを買うはず。......と、思っていたのだが。 弟のはじめての買い物は、ゲームではなかった。弟がICOCAを手にした翌日、母は朝から体調をくずし、高熱で寝込んでいた。福祉作業所から帰ってきた弟の手には。 マクドのエッグマックマフィン......。しかも、冷え切った......。朝にしか販売していないメニューを、なぜ夕方に持ち帰ってくるんだ。ひとりで歩いて、買いに行ったのもびっくりだけど。 福祉作業所のスタッフさんに連絡してみると、「お母さんにお見舞いだって、朝の休憩時間に買ってこられたんです。ご自分のハンバーガーとコーラのセットは、お昼に食べられました」 母は涙目になった。 「ありがとうねえ、優しいねえ」 そう言いながら、青紫色の顔でマフィンをかじったが、まあ普通に病人なのでそれ以上、食べられなかった。姉がぜんぶ食べた。