菅政権の「大改革」が成功する条件とは何か その歴史的ヴィジョン
デジタルの黒船
19世期から20世紀まで、こういった動きは産業の工業化とともに進んできた。近代化とはすなわち工業化であった。トップランナーは、鉄と蒸気の産業革命をいち早く成し遂げたイギリスであり、フランス、アメリカ、ドイツ、日本がこれを追った。ロシアと中国は社会主義によってこれを達成しようとした。 日本という国は、もともと精妙な技術と感性の文化を有する国であったが、明治以後、短期間に工業先進国に仲間入りし、戦後復興ののちは、パナソニック(松下) 、ソニー、トヨタ、ホンダ、ニコン、セイコーなど、あらゆる工業製品において世界のトップに躍り出た。日本技術圧勝時代というものがあったのだ。 しかしベルリンの壁の崩壊あたりから様子が変わってくる。産業と生活の情報化が進行し、デジタル社会となって、工業社会とは質の異なる社会システムが要求されたのだ。技術と産業と社会のパラダイム(科学における基盤理論の意味で使われる)転換である。 日本は最初これを工業技術の延長として受け止めた。ソニーやパナソニックや日立や東芝といった企業がこの競争を勝ち抜くと考えたのだ。しかし期待に反して、日本のパソコンは、マイクロソフトのウィンドウズをOSとして、ワードやエクセルやパワーポイントといったアプリケーションにシェアを奪われた。期待の星であったソニーは、若者たちがガレージから立ち上げたアップルという新興企業に打ち負かされた。ネット通販やSNSの起業競争には完全に立ち遅れた。情報社会は工業社会の延長ではなかったのだ。いってみればデジタル化とは「鉄と蒸気(エネルギー)」に代わる「シリコンと電子(情報)」による「新しい黒船」であった。 インターネットはかつてのポルトガルやスペインによる外洋航路の発見に似ている。16世期に現れた「世界システム(ウォーラーステイン)」に代わって「グローバルシステム」という新しい「市場概念」が現れたのである。