菅政権の「大改革」が成功する条件とは何か その歴史的ヴィジョン
菅政権の主要政策は「大改革」しかない
さてこれだけの支持を得て、菅政権は何をするのか。 安倍政権の多くを受け継ぐにしても、外交、安保、改憲といった分野では、タカ派といわれた安倍前総理以上に前に出ることはないだろう。経済政策においてもアベノミクスを継承する以上のことは難しいのではないか。そう考えれば独自色が出せるのは内政であり、公的システムの「改革」である。 新首相はこれまで何度か「縦割り行政を打破する」と宣言してきた。官房長官とはそれができる唯一の大臣ともいってきた。しかも内閣人事局によって官僚の首根っこを押さえているのだから、政治主導、官邸主導を貫徹するということだ。そのこと自体は悪いことではない。明らかに戦後日本の行政組織は賞味期限切れの部分があり、大きな改革を必要としている。しかし安倍政権の後期においては、これが裏目に出て、たとえば財務省の文書改竄事件を招き、自殺者も出たのだ。これまで何度か述べてきた「官僚モラルの崩壊」である。 かつてこの国は、能力とモラルの高い官僚によって支えられている部分があったのであり、政治主導がそのモラルを破壊するようなことになってはなるまい。とはいえ、元の官僚主導に戻ったのでは意味がない。むしろ政治主導時代にふさわしい「新しい官僚モラル」が必要なのだ。菅政権がそういったものを醸成できるかどうか。それとも反発と抵抗に立ち往生するかどうか。これから現れるのは「官僚主導的な官僚精神」と「政治主導的な官僚精神」との葛藤であろうか。すでに官邸官僚と呼ばれる補佐官の存在がその兆候を示していた。そしてその趨勢は、菅政権が断行しようとする「改革」に国民の賛同が得られるかどうかにかかっているのだ。 戦後の「改革」の歴史を振り返れば、まず中曽根政権の行政改革がある。膨大な赤字の国鉄を分割してJRとしたのは目に見える成果であった。小泉政権もこれにならって郵政を民営化したが、抵抗も大きく、中途半端という意見もあり、逆に新自由主義的な政策により格差が広がって地方が疲弊したという意見もある。そしてこの二つの改革は基本的に「規制緩和」と「民営化」であった。総合的な法的規制を緩和することによって民間企業に活力を与えると同時に、公的な現業を民間企業化することによって、事業にコスト・ベネフィット(費用対効果)の概念を導入しようとしたのだ。つまりどちらも「官」から「民」へである。 しかし菅政権の改革はこれとは異なるものとなるだろう。これまでのような規制緩和では政権の目玉にはならないし、特に民営化すべき公的機関も見当たらない。今回の改革は社会構造そのものを変える「大改革」でなくてはならない。そしてそのガイドラインとなる変化がデジタル社会の実現(デジタル・トランスフォーメーション)であり、地方自治の復権であろう。