菅政権の「大改革」が成功する条件とは何か その歴史的ヴィジョン
安定・発展・停滞・改革・蘇生・動乱
ここで改革の歴史について、大きく江戸時代までさかのぼってみたい。江戸幕府が成立し、戦国乱世の戦いに疲れた人々は平和を求め徳川政権は長く続いた。初期のうち経済と文化は発展したが、次第に制度疲労が重なって腐敗と停滞が生じる。幕府は、享保の改革、寛政の改革、天保の改革と、三度の改革によって蘇生を試みたが結局、黒船の外圧によって明治維新という一種の革命を迎え、中央集権国家が成立した。 幕末から西南戦争までは乱が続いたが、その後安定に向かって文明開化に邁進する。そして短期間で、西欧特にイギリスから始まった「鉄と蒸気」の近代文明を取り入れることに成功し、日露戦争に勝利した。明治は発展の時代であった。しかし大正から昭和初期、不況が続き経済は停滞する。政府は何度か改革を試みるが結局、テロとクーデターの試みを経て無謀な戦争となり、完膚なきまでに敗北した。 そして戦後、国民は生きるための生産活動に専念する。ベルトコンベアに象徴されるようなアメリカ式の民需量産が始まり、再び短期間のキャッチアップに成功する。70年代までは経済の復興と発展の時代であった。しかしバブル経済とその崩壊によって停滞の時代が始まる。先述のように自民党は何度かの改革を試みるが、野党に政権を奪われることもあった。 こう見てくると、平和裏の大改革は非常に難しいことを感じる。しかししないよりはマシであることも感じる。医療と同じだ。完治しにくい病ではあっても、場合によっては血を流す手術をするべきだろう。患者となった日本は、雪深い秋田から上京した医師のゴッドハンドに身を委ねるべきかもしれない。 社会は、安定を求めると同時に変化を求めるものだ。一般に戦乱のあとの社会は安定を求める力が強く、経済と文化は発展するが、やがて制度疲労による腐敗と停滞が生じ、政府は改革による蘇生を試みる。成功すれば社会は再び発展の軌道に乗るが、失敗すれば混乱を招き、革命や戦争といった動乱につながる。社会はそのようなサイクルを繰り返すものだ。また一般に、島国の外圧は間欠的で大陸の外圧は継続的であり、島国は停滞期が長く、大陸は動乱期が長いという傾向があるようにも思われる。 歴史は、この国の民に、平和と繁栄の上にのほほんと安住することを許したことがない。