ISS長期滞在、金井さん帰国会見(全文1)新しい時代の「宇宙の使い方」体感
船外活動や宇宙船キャプチャー経験
私は非常に幸運なことに、日本人としては4人目の船外活動もさせていただきました。これは私の技術がすごく優れていたからというよりは、私の先輩方が培ってきた、あるいは実証してきた日本人宇宙飛行士の能力の高さであったりとか技能を認められて、その代表として私がたまたま運よくさせていただいたという、そういったものですけども、やはり宇宙服を着て宇宙ステーションの外に出て作業をするという、そういった貴重な経験を日本として、JAXAとして、また1回経験を積むことができたのは、将来の日本の宇宙開発にとても役立つ大きなステップだったのかなというふうに感じておりますし、私自身も宇宙飛行士としてこれから仕事をしていくに当たって、素晴らしい経験をさせていただいたなというふうに感じております。 ドラゴン宇宙船のキャプチャーも実はさせていただきまして、なかなか最初の宇宙飛行士、最初の1回目の初フライトでEVAもやってロボットアームを使ったキャプチャーもやって、そしてさまざまな宇宙実験もやらせてもらってという、そういう機会は本当に、お前は運のいいやつだなと先輩宇宙飛行士に言われて、言われて初めて本当にすごいことをやらせていただいたんだなというふうにかんじております。 で、ミッション終わって直後、帰ってきた直後は、あ、ミッション終わったなという、ただそれだけだったんですけども、こうやってミッション報告会をさせていただいたり、いろいろな記者さんから質問をお受けしたりする中で、自分が宇宙に行ってきた意味ってなんだろうって、今自分の中で考え始めているところで、だんだん熟成させて、まだなんとも自分でも答えは出ないもやもやとした状況なんですけども、きっと宇宙に行ってきたすごく大きな意義っていうのがあるんじゃないかなと考えつつあるところです。
「小型衛星放出」や「面白実験」ミッション
今、ご紹介してるのが小型衛星放出のミッションです。で、これはご存じのとおり、「きぼう」ユニークなエアロックとロボットアームを使って小型衛星を放出するというミッションで、私のときには非常にラッキーで、国連との協力の枠組みで行われる小型衛星の放出ミッションを担当しまして、日本のものではなくて、コスタリカ、ケニア、そしてトルコの小型衛星を放出するというミッションを担当させていただきました。後ほど画像にも出てきますけども、各国からの期待感というか、ミッションが成功したときの「うわー」という映像を見させていただくと、本当に「きぼう」は日本だけのものではなくて、これから宇宙を始めたいという世界中の国にとって宇宙に開く希望の扉だなというのを本当に感じております。 日本というのは、かつて、これまでは宇宙先進国の米、露の背中を追い掛けながら、『坂の上の雲』じゃないですけども、先進国を追い掛けていた、そういう立場が、もうこの宇宙ステーションを使うことによって逆に追い掛けられるリーダーとしての立場っていうのを、ひしひしと感じております。また逆に、新しく宇宙を使いたいという国々からのリーダーシップを求められていたりとか、あるいは支援を期待されている、そういった立場に対して日本なりに粛々と、着実と責任を果たしている、そんなことも感じております。 で、これはExHAMというような実験で、これは非常に日本らしいなと私が思うのは、この「きぼう」の曝露部という船外実験施設の空きスペースを使って、こういった材料曝露実験を行うという、そういったところ、非常に日本人らしい細やかなアイデアであったりとか匠の技で、非常に取り回しが楽なとてもシンプルな実験機器なんですけども、非常に効果があって私は一押しです。この実験も日本国内の企業であったり研究者からいただいたサンプルだけではなくて、海外からも実験の利用を受けまして、今回またトルコなんですけども、トルコの実験サンプルを取り付けて船外に設置するという、そういったミッションも担当しました。そういう点では、今回のミッション、新しい時代の宇宙実験というのはまた別の取り組みで、対海外として宇宙開発の世界の中のリーダーとしての日本の役割が、とても際立つミッションだったんではないかなというふうに思います。 今、ご覧いただいてる、アジアン・トライ・ゼロGという、面白実験を宇宙で行うという、そういったミッションですけども、日本の学生さんだけではなくて、アジア各地の学生さんからいただいた、宇宙簡易物理実験を軌道上で実施して、その結果を基にさまざまな考察をしていただくというような、教育的なイベントも行いまして、非常に他国の学生さんから、あるいは宇宙機関から感謝をされたような機会がありました。 交信イベントもたくさんやらせていただきましたけども、今回特に心に残っているのは、ISEF2という、各国の大臣級の大臣を呼んで、日本が議長国になって行われた将来の宇宙探査における国際会議の場で、アメリカ、ロシアのクルーと一緒に参加させていただいたというのが、また1つ心に残っております。