生後3カ月で重度の難聴とわかった息子。「本当はきこえてるんじゃないか」と現実を受け止めきれず。きこえるための手術への母の葛藤も【体験談】
いろんな人に話を聞き、人工内耳手術が選択肢に
糸優くんが生後3カ月を過ぎて補聴器を装用し始めたころから、美砂江さんはSNSで糸優くんが重度の難聴であることを投稿するようになりました。 「SNSには子どもたちの写真も投稿していたので、息子の耳の補聴器に気づく人がいるかもしれないと思い、勇気を出して自分から公表することに。すると、意外なことにものすごく反響があったんです。『お父さんが難聴だよ』『義母が手話通訳士だよ』『お母さんが小児難聴の専門医だよ』など旧知の友人たちの新たな事実を知ることになり、びっくりしました」(美砂江さん) 周囲の人に糸優くんの難聴のことを話せるようになり、美砂江さんの元には周囲から難聴に関するさまざまな情報が届くように。そして美砂江さんと朋也さんは、糸優くんの人工内耳手術の選択肢も考えるようになりました。 「検査結果が出たときに義理の姉に話したところ、姉の友人のお子さんも難聴児だと聞きました。そのご家族を紹介してもらって会いに行き、人工内耳について話を聞きました。当時中学生になっていたお子さんの話を聞いて、人工内耳を装用すると可能性が広がることを知り、そこから人工内耳について調べ始めました」(美砂江さん) 美砂江さんはその後、人工内耳手術を視野に入れ、手術ができる病院に転院します。糸優くんの人工内耳手術をするかどうかについて、夫婦で何度も何度も話し合いました。 「ろう学校や療育施設をいくつか見学し、SNSで人工内耳手術をしたことがある人や、大人の難聴者の人、いろんな人にDMを送って意見を聞きました。きこえないお子さんを手話で育てている人たちにも会って話を聞きました。 難聴がある息子を自分たちはどう育てていくのか、夫と何度も話し合い、悩みました。とくに手術を受けることに関しては、『きこえない』特性をもって生まれてきた子に対して、息子自身がまだ判断できない段階で親の私たちの思いで『きこえ』を与えていいものなのか、葛藤がありました。子どもの一生を左右することを、親が決めなくてはならない責任の重さがずっしりとのしかかるようでした。 悩んだ結果、私たちは息子に手術を受けさせることを決めました。私たち家族は手話を覚えれば息子とコミュニケーションがとれるけれど、この世界はきこえる人がほとんどの世界です。音がきこえるほうが、息子の世界を広げることにつながるんじゃないか、と私たちは考えました」(美砂江さん) お話・写真提供/美砂江さん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部 子どもが聴覚障害を持って生まれたことをなかなか受け入れられないながらも、必死で糸優くんの成長のために何ができるかを探してきた美砂江さん。その行動力に、糸優くんへの深い愛情を感じます。 次回の内容は、人工内耳手術を受けてからの糸優くんの子育てについてです。 「 #たまひよ家族を考える 」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。 ●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。 ●記事の内容は2024年9月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。
たまひよ ONLINE編集部