「クロ現」やらせ疑惑、水島宏明に聞く「報道の倫理」
ーー報道における「再現シーン」の取り扱いは? テレビ報道では普通、再現シーンの場合は、「これは再現です」とか、「取材に基づいて再現しています」など、何らかの字幕で説明します。しかし番組を見る限り、まさに本当のリアルなやりとりが、カメラの向こうで行われていたという形で放送されたわけです。あれが再現であったとしたら、「やらせ」と言って間違いはありません。 視聴者は、映像がリアルなものか、再現なのかを理解した上で見るわけです。実は再現シーンなのに、あたかもリアルに見えるように作った場合は、それは視聴者を騙していることになる。 実は、「やらせ」という言葉は非常に曖昧なものです。本来は、取材をする側、テレビを作る側の意図で、事実をねじ曲げて伝える、演出を加えるということです。ただ、その意味するところは、テレビカメラの技術の向上で変わってきていると言えます。フィルムで映像を撮っていた時代もあれば、1980年ぐらいからはVTRで撮るようにもなった。照明がきちんと当たっていないと撮影できなかったり、撮影できる分数が今よりも限られていた時代でした。その頃のドキュメンタリーを見ると、「次はこっちにいってください」などと、取材者の作為、演出が加えられていたものがかなり多いのです。かつての名作、当時は優れた番組と言われたものでさえも、今の基準で見たら「やらせ」と言われるような事例もあるのです。 現在は、テレビカメラは照明がなくてもある程度は撮影できますし、かなりの尺、1時間続けても撮影ができるような機能もあります。(技術的な進歩もあって)なるべく取材をする側の「作為」がない形で撮影する、事実を曲げないような形で撮影することが、以前よりも強く求められるようになっています。もちろん、視聴者の目も厳しくなってきたということもあります。
例えば、通勤や通学で、いつも同じ時間に、必ずある道を歩く、顔なじみの人がいたとしましょう。その風景を撮影しようとした際、たまたま、カメラマンが三脚を付け替えていたり、テープやバッテリーがなくなってしまい撮影ができなかった。そのときに、「すみません、もう1回やってください」ということは、撮影現場ではたまにあることなんです。それで、ちょっと待ってもらって、仕切り直して撮るということが「やらせ」になるかといえば、少なくともテレビの世界では、それは「やらせ」とは言わないですね。その人が、いつもその時間にそこを歩いている人であったとしたら、ですね。 ただ、どこまでが「やらせ」でどこまでが「やらせ」じゃないのかと言えば、そこに「嘘」が混じるかどうかが大きなファクターとなってくると思います。いつもは歩かないのに、その日だけ歩いてもらったとか、本当は職業が違うのに、ある職業の人を演じてもらうとか……。今回のケースでいえば、もし、多重債務者ではない人が、そのように扱われたり、ブローカーではないのに、ブローカーとして振るまうように指示される、といったことがあれば、それは明確な「やらせ」となりますね。 今回の中間報告では、NHKとしては、多重債務者については、債務関係の資料を確認した上で、「多重債務者と言える」との報告をしているので、結論は出ているのかもしれません。問題は、ブローカーの方ですね。本当にブローカーなのかは、今回の報告を見ても、まったくわからない。記者が会話から、「どうもブローカーだろうと思った」というだけですからね。本人は、自分はブローカーではないと言っています。顔や名前を隠して放送したとは言っても、本当にブローカーではなかったのなら、許される問題ではありませんね。