黄色い涙を流す幼女を看取った母の闘病手記 胆道閉鎖症で亡くなった娘と向きった4年間
でも今は こんな状態だけど何よりも無事退院でき 元気な茉友香だけで十分です。> (1988年6月13日) 肝臓や脾臓は大きいものの、食欲はあり、テレビを見たり一人遊びをしたりするなど、普通の乳幼児のように振る舞う。義実家と実家の支えもあり、親子で花火大会に出かけたり、ハイキングに出かけたりもできた。ようやく穏やかな日常が訪れた。 <親子3人で新穂高ロープウェイへあそびに行く。 ロープウェイにのったり クマ牧場へ行った。
本当に今こうして茉友香と外出していることが夢のようである。> (1988年8月27、28日) しかし、夏が終わって肌寒い季節に変わる頃から徐々に食欲が落ちていった。便が白っぽい日も続いており、胆汁がうまく排出されていない様子でもある。あまり深刻には捉えなかったが、体調を整える意図もあって再入院を決める。 <今回の入院は全身状態はそれほどわるくなく ただ食事がとれないために入院したので また食べられるようになったらすぐ退院できるというすごく軽い気もちでいた>
(1988年12月11日) この引用文からもわかるように、Aさんはしばしば振り返りの視点で記述している。「平成元年1月1日」との記述もあるので、元の日記帳があり、そこから要点を抜粋しつつ、後から清書した時に感想を書き加えたのかもしれない。あるいは、元の日記の空白に後から書き加えた可能性もある。いずれにしろ、このノートには2つの時間が流れていることになる。 ■入院は半年に及んだ 入院は短期では済まず、約半年間に及ぶことになった。食欲が戻らないばかりか、鼻からの出血と下血が度々あり、命の危機となる血管の破裂すら疑うほど体調が悪化してしまう。
<ねつが下がらないため点滴をつける 夜下血する。 とうとう食道静脈瘤のための出血か。 はじめてのことでおそろしくて・・・> (1989年4月10日) 胆道閉鎖症では肝臓に血液が流れ込みにくくなることで食道静脈瘤ができることがある。また、ビタミンKの不足や血小板の減少によって出血が起こりやすくもなる。脳出血で命を落とすケースもあり、深刻な状態に向かう不安感が少しずつ高まっていることがノートから伝わってくる。