黄色い涙を流す幼女を看取った母の闘病手記 胆道閉鎖症で亡くなった娘と向きった4年間
そばにいるだけで何もしてやれず 見ているのもつらく また泣くだけでした。 でもこれからが大変なんだ もしかしたら これでよくなるかもしれないんだ あと何年生きられるのだろう。 とにかく茉友香のために精一杯やってやろう 茉友香は頑張っているのだ 私がメソメソしていてはいけない がんばろう 茉友香といっしょにCBAと戦おうと思いました> (1987年6月9日) ■生後間もなく2回の外科手術 術後、一度は快方に向かい退院の話が出たものの、血中のビリルビンの数値が再び上がっていき、8月末に再手術が決定する。生後4カ月。母子ともに、転院したとき以外に外の空気を吸っていない。
<また点滴だめになり 手術まで点滴なし。 再手術することになったけど今度だめだったら・・・ 小さな身体で茉友香がんばっているのに 再手術しても完治するわけでもない。 それを思うともう今にでも茉友香と一緒に死にたいと考えた。何度も。 でも何もわからない あどけない茉友香をみていると 一生けん命 茉友香はがんばっているのに・・・ やるだけのことは やってもらう。> (1987年8月23日) 再手術の後も劇的な状態の改善はなかった。肝臓と脾臓が大きくなり、胆汁による黄疸で、全身の皮膚が黄色い。何も知らない人から「どうして?」と尋ねられたりした。いまだ退院の話もない。それでも年末年始を自宅で過ごすようにと、初めて5日間の外出許可が出た。
■半年間の平穏 ようやく正式退院となったのは、それから半年後の1988年6月だ。茉友香ちゃんは生後14カ月。早い子ならよちよち歩きをしているほどの月日が流れていた。 <健常児とくらべるとかなり発育のおくれは目立ちます やっとおすわりができるくらいで はいはいも つかまり立ちももちろんできません。 毎日 病院のせまいベッドの中で育ってきたのだから健常児とくらべるのは問題外です。 でもやっぱり心の中では はやくたてるようになって 手をつないで いっしょに歩きたいと思っていました