黄色い涙を流す幼女を看取った母の闘病手記 胆道閉鎖症で亡くなった娘と向きった4年間
(1989年11月6日) 朝方にも大量の下血。2時間半かかる道を「1分1秒でも早く」と願いながら、長良病院に向かう。 病院にたどり着いて一命を取り留めたものの、茉友香ちゃんは吐血と下血を繰り返している。数日後にはAさんの弟の結婚式に親子4人で出席する予定だったが、もはや望むべくもない。主治医からは「覚悟しておくように」とも言われた。 それでも今回もなんとか峠を越えることができた。ちょうどその頃、世間では胆道閉鎖症を患った1歳児・杉本裕弥ちゃんへの生体肝移植が話題になっていた。日本初であり、世界でも4例目の生体肝移植だ。ノートにも言及がある。
<このころ杉本裕弥ちゃん生体肝移植 生体肝移植について私は それで100%完治するのならすぐにでもやりたい。 でもまだ医学はそこまでいってない また傷つけて えらく痛い思いさせるのはあまりにも茉友香がかわいそう。 それよりも もっとよい薬ができることを願う。> (1989年11月22日) 手術は無事成功したものの、杉本裕弥ちゃんは9カ月後に急変して亡くなっている。そのことを踏まえて書いたものなのか、日付けのタイミングで書いたものなのかはわからない。
■栄養が取れず痩せ細っていく Aさんは血液検査のたびにビリルビンの値をメモしているが、体重も頻繁に記録している。ノートに残る茉友香ちゃんの最高体重は1万0815グラム(約10.8キロ)。1989年11月22日の記録だ。ここから少しずつ下降線を描くようになり、体調も悪化していった。 <体重 9660g 超音波検査で あきらかに腹水がたまっているとのこと> (1989年12月4日) <電解質のバランスがくずれ カリウム不足で補正する。
少量の鼻出血。 このころはもうほとんどおすわりもできずねたきりのようになっていた せっかく ついこの間まではつたい歩きまでしていたのに> (1989年12月17日) <とにかくぐったりしている 「まゆちゃん がんばって! えらいね」というと「うん」とうなずくだけで あとはまったくしゃべらない。> (1989年12月18日) 2歳の誕生日もクリスマスもケーキで祝うことは叶わなかった。鼻から入れたチューブからわずかなミルクを摂取する我が子。平成元年から平成2年に移るこの年は、年末年始の外泊もできなかった。家族や2人目の子のことも心配だが、身体はひとつしかなく、茉友香ちゃんに付き添う仕事は自分にしかできないと自分に言い聞かせる。