黄色い涙を流す幼女を看取った母の闘病手記 胆道閉鎖症で亡くなった娘と向きった4年間
肝臓は身体のなかの代謝を司る臓器ですが、同時に胆汁を造り、これを胆道を通じて十二指腸に排泄します。胆汁は赤血球が古くなって壊れたときに生じるヘモグロビンから造られるビリルビンという黄色い色素や胆汁酸を含みます。胆汁酸は脂肪の吸収に大きな働きをします。 この胆道が詰まっていれば胆汁は肝臓の中にたまってしまい肝細胞を壊し、ビリルビンが血液の中にまわって黄疸が見られるようになります。(略)放っておくとやがて肝臓が次第に冒され、おしまいには肝硬変となり命にかかわる大変な病気です。わが国では一万人産まれると一人がこの病気になっています。>
■誕生後の母子対面が果たせないまま1週間 いまだ根本の原因は分からず、国の難病指定を受けている。治療しながら成人を迎える人も少なくないが、症状が重く外科手術が功を奏しない場合は生後2~3年で命を落とすこともある。 茉友香ちゃんはこの病を抱えて生まれた。母である女性――仮にAさんとしよう――が残した育児日記の書き出しにはこうある。 <昭和62年4月16日 出産 予定日は4月3日でした。 でも陣痛らしきものはまったくなく 4月16日朝医師より 入院するように言われ 点滴で陣痛誘発剤を使い 午後4時ころより少しずつお腹がはってきました。
(略) 朝6時28分待望の女児がうまれました 羊水がかなり少なかったのと少々難産だったため仮死状態ですぐ保育器にいれられました。 体重2630g 身長44cm 少々小柄でした。> ようやく生まれた我が子だが、ずっと保育器に入れられており、数日間は対面すら叶わなかった。胆道閉鎖症(当時は先天性胆道閉鎖症=CBAと呼ばれていた)の疑いがあると告げられたのは1週間後のこと。翌日にようやく母子対面となったが、すぐに地域の大きな病院に転院するよう勧められた。
転院したのは、出産病院と同じ岐阜県内ながら自宅からは2時間半以上かかる国立長良病院(現・長良医療センター)。間もなくして病名が確定し、胆管の代わりの胆道をつくる外科手術が行われることとなった。 <何時間 泣き続けたか やっと手術がおわり もどってきました 小さなからだに お腹に大きなガーゼがはられ もう痛々しくて、また左胸にIVH(※筆者注:静脈に栄養を輸液を流し込む治療法。そのチューブを指すと思われる) 手に点滴 鼻からチューブ モニターもつけられ 酸素ボックスにいれられてました