ソフトバンクの“熱男”松田宣浩がキャンプイン直前に語る「知られざる苦悩」と「熱男誕生前夜への回帰」
技術面では構えた際のバットの位置に試行錯誤した。 「頭にバットをつけるか、離すか」。いわゆるタイミングを取るために最も重要なトップの位置だ。だが、それが決まらない。「ヒットが出ていなくとも感覚が良ければ、ここで良しとしていたけれど、その感覚がなくて何度も変えた」という。 バットも3年前に巨人の坂本勇人から譲ってもらい参考にした少し太い“勇人タイプ”と本来の自分のバットを試合前のフリー打撃から5本打つ度に使い分けするなどして「感覚を探り続けた」というが、ついに「これだ」という感覚と形が決まらないままシーズンを終えることになる。 9月10日の楽天戦では事件が起きた。2試合連続でスタメンを外れ、途中出場の機会もなく2014年8月26日の日ハム戦から7シーズンにわたって続いていた連続試合出場が815でストップした。 「調子が悪かったので、そうなることはわかる。良かったら使ってもらえる。あれは納得。勝負の世界。結果も出せないのに名前だけで使ってもらってもしんどい。出る以上、すべてのパフォーマンスで結果を出していなければならないから」 記録は止まったとはいえ、その歴代17位となる名誉ある記録が、そこからの松田の支えになったという。 「ずっと試合に出させてもらってきた。5年続けてきた全試合出場というモチベーションは僕の中では大きかった。それを続けてきたからこそ、毎日、頑張れたし、体の痛みも感じなかった。試合に出る責務もあった。連続試合出場は815で止まったが、そこから先の自分を支えてくれたのは、その815という数字。815もできてきたんだという過去の自分に一番支えられた」 ――引退の2文字はちらついたのか? 「それはない。僕にとっての限界は数字ではない。自分の中で決めているのは、体がついてこなかったら、その時が辞め時ということ。ただ、この世界は自分がやりたいと言っても球団がいらないと言えばそこまで。成績を残さないとやらせてもらえない」 それが松田の本心だ 不振の中でも松田がチーム貢献を考え貫いたことがある。 「三振をせず四球を増やすこと」である。 実際、三振率が昨年の.200から.176に減り、出場試合数が143試合から116試合に減ったにもかかわらず四球数は33から32とひとつしか減らなかった。つまり三振が減り四球を選ぶことが増えた。 「三振が一番ダメ。それでは何も起きない。前に飛ばすだけで何かを起こす可能性はゼロから1になる。根性論かもしれない。オリックスの吉田正なんかはツーストライクからでも三振が少ない。いい打者はそれができる。悪いなりにそこが減ったし、四球も選んだ。初球からいくよりも、ゆっくりと構え2、3球投げさせて甘い球を打ち返すという好球必打の傾向にはなっている。もちろん、状況によるが、相手に球数を投げさせる大事さもある」 打てないなりに何ができるかを突き詰めた。だが見方を変えると、バットを振らなくなったとも言える。思い切りと意外性が松田の魅力なのだ。 その反省をもとに逆襲プランも固めた。 これまでは追い込まれるとバットを短く持ち、コンパクトなバッティングに切り替えていたが、「追い込まれても長く持って振ってみようかなと考えている。フルスイングの原点に戻ろうと。そこで新たなものが見えてくるかもしれない」という。 「昨年は頭を使い過ぎた。イメージを繰り返したり、打球方向やフォームなどを試行錯誤しすぎた。考えすぎて体が動かなかった。若いときの、熱男が生まれる前のギラギラしたエネルギッシュな姿と気持ちでもう一度打席に入ってみようと考えている。これまでやってきたことを信じて振りまくってやろうと。僕は中距離バッターだが、ホームランテラスもある。もう一度、ホームランをたくさん打ちたい。300本塁打まで残り13本。クリアすべきモチベーションのひとつだし、できるだけ早く達成したい」 300本塁打をクリアしたのは過去に42人。誇れる勲章となる。 刺激になるニュースもオフに飛び込んできた。