まるで「日本列島のよう」…「プレートの沈み込みからできる火山弧」の一端にある島で起きた「街をまるまる飲みこむ」ほどの大噴火
「硫黄」という名の山を戴くモンセラート島
かつてモンセラートは一つの小さな離島にすぎなかったが、1995年に始まったスフリエールヒルズ火山の噴火とそれによる災害がこの島を一躍有名にした。 小アンティル諸島の島々は歴史的な経緯から独立国家として存在する島もあれば、現在も欧州列国の領土(海外県)となっている島もある。モンセラートは正式には「英国領モンセラート島」で、植民地時代を経て現在も英国の一部を構成する。ただ英国本土から直接アクセスできる手段はない。ふつう欧州や北米経由で、まず隣のアンティグア島に入り、そこから空路を使う。 モンセラートには大型旅客機が離着陸できるような長い滑走路はなく、航空機は小さなセスナ機やヘリコプターに限られる。小型機は天候の影響も受けやすく、アクセスするのはなかなか大変な島だ。 しかし無事にアンティグアを出発することができれば、モンセラートに近づくにつれて、この島をつくる火山の迫力ある姿を小型機ならではの臨場感を持って堪能することができる(写真「セスナ機より北東側から見たモンセラート島」)。 とくに島の南側を占める最高峰スフリエールヒルズの岩石質で険しい山肌と山頂付近から活発に噴気が出ている様子には目を奪われる。著者が初めて島を訪れた2010年5月はちょうど噴火活動の休止期間だったが、まさにできたてほやほやの山という様相を呈していた。 「スフリエール」はフランス語で硫黄を意味し、噴気活動が活発な火山にしばしば付けられる名前だ。カリブ海には他にも「スフリエール」と付く活火山が複数あり、混同されることが多い。モンセラートの「スフリエール」にはさらに「ヒルズ」が付くことで他の山と区別できる。 日本国内に「硫黄山」「硫黄岳」「硫黄島」など硫黄が付く火山地域が多くあるのによく似ているが、モンセラートのスフリエールヒルズはまさにその名にふさわしい山だ。
モンセラートの高度な観測システム
モンセラートを含め小アンティル諸島の多くの居住者は、アフリカに起源を持つ。その由緒は15世紀末のクリストファー・コロンブスによる西インド諸島発見に遡る。 このコロンブスによる西インド諸島発見を境に、カリブ海では欧州列国による植民地支配の下、アフリカから多くの移民が入植した、正確には強制的に入植させられたという歴史的経緯がある。モンセラートは1493年にコロンブスにより発見された後、1632年に初めて人が入植するまでは無人島だった。その後人口は増え続け、1995年の噴火前には約1万2000人が居住していた。 その美しい緑に覆われた外観に由来してエメラルドの島とも呼ばれ、在りし日のカリブの島の雰囲気を留める島として親しまれ、観光産業も確立していた。首都プリマスは西海岸に位置し、噴火前は人口4000人ほどで島の拠点として活気に満ちていた。いくつもの精米所や綿農家があり、北米やイギリスからの居住者も多く、アメリカの医学校も建てられた。 カリブ海の島々には過去の欧州列国による支配の影響が今もさまざまな場所に残されているが、それは負の側面ばかりではない。政治・経済の発展には欧米の力が重要な役割を担い、それは今日に至るまでカリブ海諸国の人々が豊かに生活するための基盤を支えてきた。 地震や火山の観測研究についても欧米諸国からの支援・協力が不可欠で、活動的火山を有する火山島のいくつかには専門のスタッフが常駐する観測所が設置されている。 モンセラート島の場合、1990代初頭の地震活動の活発化に伴い、西インド諸島大学地震研究ユニット(現在の地震研究センター)が観測網を強化し、その後、本格的に観測を行うための活動拠点としてモンセラート火山観測所を設立した。 西インド諸島大学はカリブ海の英語圏の国や地域が自治・運営する大学で、この地域の地震火山観測研究を欧米諸国の研究機関と協力して支えている。スフリエールヒルズの噴火の際にはモンセラート火山観測所が情報発信を逐次行い、噴火活動の理解と災害軽減に貢献してきた。