ゼロ・ウェイスト宣言から20年目の葛藤と、自ら選んだ持続可能な未来
上勝町や母に育ててもらった分を返したい
東 ただ、私が上勝町出身だからなのか、町外から引っ越して来た人たちに「東さんのやることは正解」「東さんに挨拶しないと」と思われると「まずいな」と感じます。 ゼロ・ウェイストタウン計画を設計したり場を主催したりする立場になると、発言力も自然と高まっていきます。私の発案で予算がつくこともありますが、その度に上勝町の大切なお金や資源を無駄にしてはいけないと、毎回恐る恐るです。自分が無知であることを忘れず、教養を高めないとと思います。時には意思決定をしていくこともありますが、まだ怖い感覚はありますね。 ── 意思決定が怖い。 東 何かを選ぶということは、何かを選ばないということですよね。誰かの意見が反映されるかもしれないけど、反映されない人もいる。あちらを立てたらこちらが立たずで、最終的に出来上がるものが中途半端になってしまう不安もある。私の母だったら「険しい方を選べ」と言うでしょうけど。
── 東さんのお母さんは役場の職員さんで、上勝町のゼロ・ウェイストへの取り組みを始めた方だったんですよね。今の東さんの動きは、お母さんの影響を受けているのでしょうか。 東 そうですね、母は、ゼロ・ウェイストを推し進めようと孤軍奮闘していました。寝ないで働いていたと思うほどのパッションだったし、地域からの反発もあっただろうし、そんな中で私や兄弟を育てながら生活を作っていくのはすごく大変だっただろうと思います。母は10年ほど前に亡くなりましたが、その頃から「次の上勝町を作らなきゃ」という危機感がずっとありました。 上勝町に帰ってきた当時は、「母の遺志を継いでカフェを開業」という表現で取り上げてもらうことも多くて。確かに間違ってはいないんですが、カフェは私がやりたくて始めたのに「どうして全部が母の遺志を継いでいるストーリーに乗せられてしまうんだろう」と不満でした。 ただ、私自身が母になったり、歳を重ねたりする中で、広い目線で見られるようになってきて。歳を取るって、素晴らしいですね(笑)。自分がどれだけ上勝町や母に育まれて来たのか、すごくよく理解できるようになりました。だからこそ、INOWプログラムを始められたのかもしれません。今度は自分が人を育む側になりたい、と。