ゼロ・ウェイスト宣言から20年目の葛藤と、自ら選んだ持続可能な未来
東 子どもの頃から無条件にゼロ・ウェイストが良いものだと思い込んでいただけで、自主的に考えて選んではいなかったかもしれない。そう思い始めた瞬間に、いわばアイデンティティクライシスが起こりました。「私は今まで何をやってきたんだろう」状態。初めて「ゼロ・ウエイストって何だろう」と考え始めたんです。 ── それまでは、ゼロ・ウェイストに疑いを持ったことがなかった。 東 そうですね。ただ、町外から来る方と話すうちに、町外と町内の人たちの感覚のギャップの広がりに違和感を感じ始めてもいて。 町外から来る人の多くは「上勝町の人たちは、みんながゼロ・ウェイストに賛同して、町内の商店はすべてパッケージレスで、完璧な町」という期待を持っています。でも数日、上勝町に滞在したあと、がっかりして帰っていく人もいる。町にもいろんな人がいますし「完璧な町」はやっぱり難しいので。 私も自問自答を繰り返す中で、苦しくて仕方なくなりました。ごみは全然ゼロにならないし、町内の方々とのコミュニケーションも一筋縄ではいかないし。 中学生の頃「ABU未来への航海(https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009050613_00000)」という、アジアの7カ国から集まった同世代の子どもたちが沖縄から横浜まで一隻の船に乗って、地球の環境問題について考えるプログラムに参加したことがありました。当時、上勝町のゼロ・ウェイストをプレゼンする機会ももらい、上勝の取り組みが世界に通用すると感じた経験でした。 その頃に感じた、世界とつながるおもしろさやカッコ良さみたいなものが、全然感じられなくなってしまった。「面白かったはずなのに、どうして今こんなに苦しいんだろう」って。
── その葛藤からはどんなふうに抜け出したんですか? 東 私はごみ処理方法よりも、ゼロ・ウェイストに取り組むことで、どんなふうに考え方が変わったり、どんな人と繋がれたりするのかという可能性に興味があることに気づいたんです。 2020年に差し掛かり、新たにゼロ・ウェイスト宣言をするかしないか検討が始まった時期、地域の方々に「あなたにとってゼロ・ウェイストとは何ですか」と聞いてまわりました。そしたら、60個ぐらいアイディアが出てきたんです。ごみのリサイクルと表現する人もいれば「棚田」「晩茶」と答える方もいて。 一般的な定義に基づけば、ゼロ・ウェイストは廃棄物をゼロにすることだと思います。でも、上勝町では廃棄物ゼロだけを指すのではなく、いくつかのレイヤーに分かれている。そして目指したい未来や受け継いでいきたい地域の伝統も多様です。 オーストラリアでは「フリーウェイスト」という定義で取り組んでいる地域があります。廃棄物ゼロという目標は定量的だから、そこに囚われず、ごみというものから解放される生活ができる社会をつくろうという考え方です。そうするとごみだけでなく、暮らし全体に視野が広がって、もっといろんなことが考えられるようになるんです。 現状、上勝町のごみはゼロにはできていないけれど、定量的な評価だけでは、達成できているかいないかの二択になってしまいます。だから地域の伝統を紡げているか、その紡ぐ方法にゼロ・ウェイストはどのように役立っているかを認識して「上勝町のゼロ・ウェイストの定義はこれ」と共有する重要性を感じました。私はそのためのコミュニケーションを、ちゃんと取りたいと思っています。