「辞めることになったから」川崎F・鬼木達50歳が息子に“監督退任”を伝えた日「顔を見合って号泣です(笑)」番記者が初めて聞いた“家族の話”
10月のある日、鬼木家の夕食中でのことだった。 「言ったら?」 突然、妻である麗子さんからそう切り出された。 【写真】「鬼木はフロンターレの宝だ」川崎サポーターが掲げたメッセージがアツすぎる…「メンツえぐい」鬼木監督のもとで躍動した“超豪華メンバーのフロンターレ”も一気に見る(全12枚) 予想していなかったひと言に、「えっ、このタイミングで?」と鬼木達監督は完全に意表を突かれたという。 「全然、言う気はなかったんですよ。もう少し、ちゃんとしたタイミングにしようかなと思っていたので……」 少しだけ苦笑いを浮かべて、そう明かした。 何を言うつもりだったのか。それは、自身の退任だった。
次男が無言で流した涙…“鬼木家の食卓”の情景
8シーズンにわたって指揮していた川崎フロンターレの監督を、今季限りで退くことが決まっていた。夫人にはすでに伝えていたが、公には未発表で、息子たちにも自分なりに考えていた適切な頃合いに伝えるつもりだった。 だから、夕食の場で夫人から唐突にその話題を切り出されたことに、思わず動揺してしまったのである。 鬼木監督には2人の息子がいる。 長男は現在大学生で、次男は高校生だ。このときの食卓にいたのは次男だけだった。夫人から促されたこともあり、その場にいた次男に自身の退任を伝えることにした。 「辞めることになったから」 父親の言葉の意味を、次男はすぐに理解した。ただ、その後の反応が意外なものだった。 胸の中で込み上げるものがあったのだろうか。その場で沈黙すると、涙を流しながら食事を続けたという。 鬼木家の食卓には、静かな時間が流れていた。その場にいた3人ともが、抱えていた感情を抑え切れなくなっていたからだ。鬼木監督が回想する。 「それでこっちも泣いてしまって。そこから、みんなで顔を見合って号泣です(笑)。息子が小学生の頃から(自分が)監督というものをやっていて、それをずっと見ていたからなのか、思うところもあったんでしょうね」
「こんな僕でも誇りに思ってくれるんですね」
2009年生まれの次男は、06年に引退した鬼木達の現役時代をリアルタイムでは見ていない。物心ついたときから、父親はすでに川崎フロンターレの指導者だった。 鬼木がトップチームの監督として指揮を執り始めたのは2017年からになる。この8シーズンの間、4度のリーグタイトルと3度のカップタイトルをクラブにもたらした。次男は当時小学生だったが、今は高校1年生になっている。彼にしてみれば「父親の職業=川崎フロンターレの監督」と言っても過言ではなかったことだろう。その父が今季限りで川崎の監督ではなくなる。8年という歳月、その背後に流れてきた時間を思うと、さまざまな感情で胸がいっぱいになるのも当然かもしれない。 次男は、小さい頃から川崎ファンだった。 毎年、好きな選手のユニフォームを買って応援していたという。幼少期は、お気に入りの選手の移籍が発表されると、「パパが試合で使わないからだよ!」と文句を言っていた。事情を知らない息子に「パパだって好きだよ。嫌いじゃない!」と弁明していたと、鬼木監督は懐かしそうに笑った。 高校生になってからスタジアムに足を運ぶ機会は減ったようだが、試合は映像でしっかりと見ているそうだ。「負けていると不貞腐れ、試合途中でリビングから自分の部屋に戻っている」と鬼木監督は夫人から伝え聞いている。 監督業やチームについて、親子で話すことは次第になくなっていった。それだけに、退任を告げた際に、その場で涙するとは思わなかった。 話をしながら、鬼木監督は「こんな僕でも誇りに思ってくれるんですね」と優しく笑っていた。その表情は息子の成長を噛み締める父親のそれだった。
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