それはまるで『キングダム』!?伊沢拓司が語るトッテナムのほっとけない魅力【来日記念インタビュー前編】
スパーズは日本でもさらに盛り上げていけるクラブ――。33年ぶりの「遅すぎる」来日を今か今かと待ちわびるトッテナムサポーター、その一人が“東大クイズ王”としてお馴染みの伊沢拓司だ。7月27日に国立競技場で行われるヴィッセル神戸戦を前に、このチームを応援し続ける理由からJリーグワールドチャレンジ開催の意義まで、たっぷり語ってくれたインタビューを前後編でお届けする。 インタビュー 玉利剛一(フットボリスタ編集部) 編集 赤荻悠(フットボリスタ編集部)
小2で日韓W杯に熱狂し、ウイイレ、浦和レッズを経由して
――大のサッカーファンであり、トッテナムの熱狂的サポーターとして知られる伊沢さんですが、そもそもサッカーを好きになったきっかけというのは何だったのですか? 「一番はサッカーが盛んな小学校に入ったことですね。高校サッカーでも有名な暁星で、週に3時間ある体育のうち1時間は必ずクラス対抗のサッカー大会をするという驚異的なカリキュラムの学校でしたから、そうした環境ではサッカーを好きにならざるを得なかったです。そんな中、小学2年生の時に日韓ワールドカップ(2002年)が開催されました。ちょうど林間学校の最中に日本代表の初戦、ベルギー戦があったんですけど、もう見たすぎて普通に林間学校をサボって家でテレビにかじりついてましたね(笑)。それくらい当時の僕はサッカーにハマっていました」 ――ワールドカップでサッカーに対する熱量が一気に高まったのですね。 「はい。ワールドカップを機に名選手図鑑のような本や雑誌がたくさん出ていて、そういうのも読み漁っていましたね。小学校は電車通学で、けっこう距離もあったので読書の時間にしていたんですけど、そこで難しい本を読むのも違うから趣味の本を読もうとなった時に、サッカーの本を選んですごく夢中になっていったところはありました」 ――小学校低学年から活字でインプットする習慣があった。 「そうですね。小1の頃から活字で知識を得ることが楽しかったんです」 ――特に印象に残っている選手はいますか? 「ワールドカップで海外のサッカーやスター選手にも興味を持つようになって、あの大会ではやっぱりロナウド(得点王に輝いたブラジル代表FW)のインパクトがすごかった。NHKで今大会の全ゴール見せます!といった総集編をやっていて、あれはもうビデオがすり切れるくらい見ましたね。僕、その番組の最後に登場してるんですよ。通っていたサッカースクールにたまたまNHKの取材班が来て、インタビューを受けた僕のコメントが使われたんです、番組の締めで(笑)。でもそんなことは関係なく、全ゴール集を繰り返し見まくっていて、だから当時の選手の名前はいっぱい覚えています」 ――では、ロナウド以外にも印象に残っている選手がいるわけですね。 「その時はワールドカップしか知らなかったんです。それで大会を見た後に、出場していない有名な国もけっこうあるんだなと興味を持ち始めて。読んでいた本や雑誌にも日韓ワールドカップに出ていない名選手シリーズみたいなコーナーがあって、そこでチリ代表のイバン・サモラーノが紹介されていたんです。すごくエピソードが豊富な選手で、『1+8』番のユニフォームとか、そういう逸話がかっこいいなって。もうインテルを去った後で引退手前でしたけど、なぜか僕は小2にしてサモラーノにハマってましたね。今でも自分の会社でサッカーをやるのにユニフォームを作ったんですが、僕は背番号を『7+3』で10番にしたりとか(笑)。 小2の頃は代表サッカーが中心でしたけど、小3の時にレアル・マドリーが日本に来たんです。銀河系と呼ばれていたチームで、東京ドームで行われた公開練習を見に行きました。サッカーゲームをやっていたので選手の名前くらいはわかるし、ドームでサッカーをしている強烈な違和感とともに、あの興奮や景色は今でも記憶に残っていますね」 ――サッカーゲームで選手の名前を覚えるのは多くのサッカーファンの共通体験かもしれません。当時のサッカーゲームというと『ウイニングイレブン』ですか? 「ウイイレですね。小4の時の2004が一番やり込んだかも。『マスターリーグ』にも熱中していて、選手を一から育てていくんですけど、やっぱりOB選手が強いわけですよ。だからそれで、まったくサッカーIQは高くなりませんが、選手の名前だけは覚える。使い込んでいたのはファン・ニステルローイ、ビエリとか、当時は足だけ速いポルトガルの若手という印象だったクリスティアーノ・ロナウドとか、とにかく速くて使いやすいマルティンスとか。ウイイレと言えばマルティンスですよね。そういうのが中心にあった小学生でした」 ――Jリーグへの興味はいかがでしょう? 「小5、小6の時は浦和レッズを応援していました。攻撃陣にはエメルソン選手や永井雄一郎選手、田中達也選手らがいて、長谷部誠選手も台頭してきた頃で、土曜の朝はテレ玉の『REDS TV GGR』を見て1日が始まるって感じでしたね。埼玉スタジアムの沿線に住んでいたので、試合もよく見に行っていました。でもレッズサポーターというほどではなくて、試合結果は追っているけど、小5、小6だと受験勉強をしていたので、ハマり切れない部分がありました。 それと決定的だったのは、2006年ドイツワールドカップでの日本代表の敗退。あれは子供ながらに絶望感がすごかった。監督はジーコで、稲本潤一、小野伸二、中村俊輔、中田英寿の黄金のカルテットがいて、そんな日本の夢を詰め込んだ、もう夢しかないチームがグループステージで負けたのを見て、気持ちがだいぶ落ちました。そのタイミングと受験が重なったこともあり、中学時代にかけてはサッカーから少し離れることになりましたね」