生理用品の歴史は、女性の社会進出の歴史だった!月経が“禁忌”から“当たり前”になるまで
「アンネ」と呼ぶことで、月経を話題に出しやすくなった
――戦後まで経血処置用品は月経帯などと呼ばれていましたが、月経の代わりに生理という言葉が使用されるようになったのは、いつ頃でしょうか。 田中先生:「生理」という言葉が用いられるようになったのは、労働基準法に「生理休暇」が規定されていたからだという説がありますが、間違いです。生理休暇獲得運動が始まった1920年代にはすでに使われていました。 その後も長らく「生理」という言葉すら憚られる時代が続きましたが、1961年に初めて使い捨て生理ナプキンを発売したアンネ社に、ユーザーから「生理をアンネの日と呼んでいる」というお手紙があったそうです。アンネ社がそれをキャッチコピーとして採用したことから、「アンネ」は月経の代名詞として広く使われるようになりました。月経を「アンネ」と呼べるようになったことで、女性同士でも月経について話をしやすくなり、恥ずかしいことという感情も薄れていきました。 今日「アンネ」は死語となりましたが、「アンネ」と口に出して言えるようになったからこそ、「生理」と自然に口にできる時代が訪れたのだと思います。
快適な生理用品が女性の社会進出を後押しした
――生理に対する女性の意識が変わったことで、女性の生活はどのように変化したのでしょうか。 田中先生:アンネ社の急成長は、それまで停滞していた生理用品市場を刺激し、5年後には後続会社が300社以上にのぼりました。後続会社のひとつ、ユニ・チャーム社が1979年のナプキンの広告で起用した俳優の松島トモ子さんは、生理用品の性能がよくなったことで、長時間の仕事もしやすくなったと語っています。 広告なので多少の誇張はあるかもしれませんが、ナプキンの性能向上が、女性を家庭から職場へと後押しし、すでに働いていた女性たちには安心感と積極性を与えたことは間違いありません。また、1947年に労働基準法に定められた生理休暇が徐々に形骸化した背景にも、生理用品の進化があったと言えるでしょう。 女性の活躍を後押ししたのは、法律や制度のおかげだと思われがちですが、それだけではありません。高度経済成長期の女性の社会進出を促したのは、生理用ナプキンの登場です。あまり顧みられませんが、女性の社会進出を陰で支えてきたのが、生理用品なのです。 ▶昔は経血の処置、どうしてた? もチェック! 歴史社会学者 田中ひかる 1970年、東京都生まれ。女性に関するテーマを中心に、執筆・講演活動を行う。著書に『明治を生きた男装の女医 高橋瑞物語』(中央公論新社)、『生理用品の社会史』(角川ソフィア文庫)、『「毒婦」和歌山カレー事件20年目の真実』(ビジネス社)、『明治のナイチンゲール 大関和物語』(中央公論新社)などがある。 イラスト/minomi 取材・文/中西彩乃 企画・構成/木村美紀(yoi)